賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

’80(後半)・・・ヨシュア時代ですな

  • 『音楽で世界を変えることはできない』って言ってる自分がいる。でも曲を書くたびに、もう一人に自分が、『でも世界を変えたい』と言ってるんだ。これって僕のナイーヴな愚かな部分かもしれないけど、でも僕自身は音楽によって確かに変わった。ベトナムでも音楽によってその世代の心構えを変化させたと聞いたよ。世界を変えようとか、人々を変えようなんて思ってないけど、でも僕自身が変わったように変わっていくと思う。大切なのは、一人ひとりの人間なんだ、そこから始まるわけだからね。ローリング・ストーン誌でも言ったんだけど、革命というのは、一人ひとりの心の中で始まるんだ。自分の信条を曲げない、妥協しないというところからね。

 

  • あの頃、俺達はそれぞれにいかれた音を聴き込んでて、ブライアン・イーノは俺達にとって一つのインスピレーションになってたから「電話してみよう」ってことになったんだ。それで電話してみると、「もうアーティストのプロデュースはしないことにしたんだ」っていう答えでさ。それで「そんなこと知ったことか。あんたにプロデュースしてもらいたいんだ、それで俺達が世界一のバンドになるんだ、俺達はそういう逸材なんだ」っていうね。すると、イーノは「でも、それはできない相談だよ、ぼくはもうロック・ミュージックに興味さえ失ってるんだ」って言う。だから「なんだ、ロック・ミュージックなら俺達だって嫌いだよ。ここまで言わせておいて断るなんてなしだよ。一緒に何か作ってみようよ、できあがったものをロックと呼ばなきゃいいんだからさ」。

 

  • プレスリーアメリカ」は5分で録音しちまったんだ。イーノが俺にマイクをくれて、スローにしたというか逆から演奏したというか、とにかくそんな曲にかぶせて歌えと言いだしてね。「何だって? これに? 今?」って聞いたら「そうだ、これをやってみるんだ」と譲らないんだ。だからやったよ。終わってみると美しい詞とメロディが出来上がっていてね。「完成が待ちきれないな」って言ったら、彼は「どういう意味だ? もう完成してるよ!」だってさ。

 

  • 「でも、ボノとそういう話をしてると水かけ論になってしまうんだよね。ボノが『歌詞になにかを言わせたい』と主張するから僕も言ってやるんだ、『歌詞というものは、君が手を加えたりする以前に、もう既に何かを語ってるものなんだ。だから、余計なことは考えない方がいい』ってね。するとボノは、『ああ、そうだね』と口では言うけどさ、何せアイルランド人だからね。頑固なんだよ」byイーノ

 

  • 「ラリーのプレイは要求するほど結果に現れるんだ。ラリーを強く押せば彼はそれに応え、向かってくるのさ」byダニエル・ラノア

 

  • 「ダニーは僕にとって最初のプロデューサーといえる・・・スティーヴ・リリィホワイトを侮辱しているんじゃないよ。でもダニーはリズム・セクションに興味を持ってくれた最初の人なんだ。スティーヴは歌やギターの方にもっと関心を持ってるんだ、得意だしね」byラリー

 

  • 時々面白いことに、俺にとっての無意識のイメージが他の人にとっては鮮烈に意識されるものであることがあるんだ。ロンドンの音楽関係の男なんだけど、ポートベロ・ホテルの俺のところにやってきて、去年死にかけたって言うんだよ。3回心臓停止したらしい。クスリのやりすぎでね。それで麻薬中毒患者リハビリセンターに入って人生を立て直そうとした。

 

  • 彼が言うには、俺たちの音楽が彼の生き方を変える本当のサウンドトラックになったらしいんだ。そして、すっかり度肝を抜かれたんだけど、俺が『焔』で表したものがすべてわかってるんだよ。「バッド」の気持ちがわかってた。どんな感情も彼にはわかってるんだ。「ワイヤー」についても。この2つの歌が彼の体験と直接結びついたらしい。あの抽象的な感じがね。

 

  • U2の音楽は空間を埋めるような気がする。都会の音楽じゃない。丘とか川、山といったところの音楽だ。実際、クラブで聴くより外で聴く方がしっくりくるよ。

 

  • このアルバム(『焔』)はいろんな意味で煉瓦やモルタルと頭上に広がる青空の対照みたいな音楽なんだよね。<インディアン・サマー>はニューヨークで書いたんだ。あの都会をぶち壊して大きな広場にしてみたいって意味もあって。とても映像的でスピードがあるだろ。あの頃の精神状態から回復した今だからこういうこと話せるんだよ。

 

  • 『焔』ツアーで、ぼくは本当にエネルギーを使い果たしてしまったんだ…。1日2時間も眠れればいい方で、ぼくは自分が一体誰なのかもわからなくなりかけていた。演奏する“自分”じゃなくて、曲を作る“自分”がね。ぼくは『バンド・エイド』とか『ライヴ・エイド』に随分入れ込んでた。でもそれが終わったら、U2が、何と言うか『ライヴ・エイド』を可能にした気温の変化の一部にすぎない、そんな気がしちゃったんだ。それで、ぼくは最初からちゃんと見届けたい、と思った。だからアリとエチオピアへ行った。自分が与えるよりずっと多くのものを得たよ。そこで5週間働いた。ギターは持って行かなかった。だって、そこではみんなビートルズさえ聴いたことないんだからね。U2なんて言うまでもないじゃないか。

 

  • ぼくは帰りたくなかっよ。でも、戻ってきた。以前知らなかった見方で、ひとつのことが理解できたからだ。ぼくが一番うまくできるのは曲を書いてそれを歌うことだ。だって、誰もが飛んでいってバットマンやロビンになって、悪を正すことができるわけじゃない。そうだろ?

 

  • 自分がいいシンガーだと思わない。でもそうなりつつあると思っている。『焔』の時、自分の声に何かが起こったと感じた。その感じは『ヨシュア・トゥリー』でも続いていて、しかも更に強いものだった。『焔』の最後にイーノが、「ボノは十分僕を満足させてはくれたが、持てるものすべては与えてくれなかった」と言った。このレコードではあの時よりたくさん彼にあげられたよ。でも、この次はもっと与えられる。そんな確信があるんだ。

 

  • 「今でも憶えているのは・・・『ヨシュア・トゥリー』のレコーディングを終えた時、僕らはまだ26か27かそこらだったんだけど、『ああ、よくいろんなアーティストたちが口にしてた、自分の最高傑作ができたと思った瞬間っていうのは、このことなんだな』って思ってた」byエッジ

 

  • 「ぼくが参加していた一週間、彼等はまだニュー・アルバムを録音しようとしていなかった。ただ、何かいいアイデアを思いつかないかと、テープを回していたんだ。ぼくはその曲(〈ハートランド〉)を録音した。これは結局『魂の叫び』に収録されることになった。『焔』の時期から持ち越された曲だ」byケヴィン・キルン

 

  • ヨシュア・トゥリー』制作中からずっと、俺とエッジは朝6時に起きている。アダムもふらっとやってきて、ひたすら曲を作ったり、レコードをかけたり。曲作りを止めていないんだよ。とにかく次から次へと出てくるんだ。

 

  • 「このアルバムを作ってからだよ。今までの3年間で感じたこともないほどギターを弾くことが面白くなってさ。正直言って、ちゃんと練習しないとね、ちょっと忘れちゃっているから」byエッジ

 

  • ぼくは『ヨシュア・トゥリー』は成功した作だと思う。幾つかの曲の風景はとても荒涼としているけど、どういうわけかこれは感情を高揚させるレコードなんだ。ぼくらにはこれがある。U2としてこれを続けなければならない。精神を高揚させる、そんな賛歌を書かなければならないんだ。

 

  • 「ボノは驚くほど素晴らしい仕事をしたよ。声域の一番上で歌ってね。自分たちを駆り立ててるようで、思わず引き込まれるよ。アレサ・フランクリンを聴くようだ。聴き手に飛びかかるって感じでね」byダニエル・ラノア

 

  • 「この曲(<終わりなき旅>)の素晴らしいところは、この声域で歌える人がいないってことだね。限界に挑んでいるんだ。このヴォーカルが大好きだよ」byダニエル・ラノア

 

  • 不幸になることで幸福なんだと思うんだよね、僕という人間は。僕のことを知ってる奴らはみんな言ってるよ、こいつはパイプを燻らしても絶対幸福にならない奴だって(笑)

 

  • オークランドで会ったのが始まりだった。あの街は5つの火山島で出来ていて、その中の一番高い島の名前が<ワン・トゥリー・ヒル>なんだ。オークランドでの最初の夜にグレッグがそこに連れてってくれてね。……彼の葬儀は想像を絶するほど凄いもんだった。マオリ族の酋長や年長者たちに埋葬されて、三日三晩ぶっ通しの祭りをやってね、僕たちは完璧に参ってしまったよ。

 

  • あのアルバムは完成品とは言いがたい。<ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー>は<ウォーク・トゥ・ザ・ウォーター>や<ルミナス・タイム>なしでは意味をなさないんだ。<トリップ・スルー・ユア・ワイアーズ>も<スウィーテスト・シング>と一緒じゃなきゃ、あまり意味はないんだよ。

 

  • 「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」の中に「And You Give Yourself Away」というフレーズがあるけれど、グループの誰もがあの意味をわかっている。それは時々俺がU2にいて感じることなんだよ。自分をさらけ出してるってね。

 

  •  「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」。これはすごいシングルだよ……。全能の神だ。トップ10に入って欲しいな、本当に。クラシック45選に入る曲だ。

 

  • 「僕はU2にはある印象を受けてたんだ。僕が話してた、二つのことをひとつにする力があるとね。それは自意識の強い精神性にある、ヤボったさとクールさだ」byブライアン・イーノ

 

  • 「ブライアンが、そのトラックにイラついてることは分かってたよ。みんなが<約束の地>に取り組んでる時に、エンジニアが紅茶を作りに部屋から出て行った。彼が戻ってきたとき、ブライアンはテープを録音状態にして――まさにボタンを押して、全てのトラックを消そうとしてたんだ。エンジニアは紅茶を落として走り寄り、ブライアンを捕まえて引き止めた。ブライアンはビックリしてたよ。チームの若手が紅茶を落として先輩を襲い、曲を消すのは良くないって言ったわけだからね」byフラッド

 

  • 「その話には誤解があるね。何度も話したが、ここで真実を話そう。録音は終わっていた――終わっていたけど、非常にたくさんの問題があったんだ。僕らは何週間もかけて、あの曲をやり続けていた。アルバムの半分くらいはあの曲に費やしたんじゃないかな。問題を解決しようとしてね、悪夢だったよ。同じことの繰り返しに陥ってたんだ。僕は初めから全部やり直した方がずっとマシじゃないかと感じてた。やり直した方がもっと早くできる確信もあったしね。そこで考えた。テープを消してしまえば、諦めてもう一度やり直さざるを得ない。事故に見せかけてテープを消そうとね。でも本当にはやってないよ」byイーノ

 

  • 年の始め、俺は俺の好きな顎とうまく働く二つの肩、それから歌うことのできる声と正気さを持っていた。1987年は魔法の山に登ったようだったよ。別に望んだわけじゃないのにいつの間にかたどり着いているんだ。そこはまったくの暗闇だ。思わず逃げ出したくなる時もあった。特に肩を壊した時にはね。5万人から7万人もの人間を2本の腕でさばくことなんかできないよ! ボストンではショーを中止してお金を払い戻すと告げた。他もそうしたかったよ。プロモーターに何度言ったかしれない。「いいかい、すべてが狂ってしまっている。全部のショーをキャンセルしよう」ってね。

 

  • 人は俺に凄くシリアスな質問をするんだ。で、俺はそれに答える。俺って馬鹿だよな。

 

  • こんなこともあった。草むらの中に女の子がひとりいるんだ。18歳のきれいなイタリア人の女の子が、花の中に座ってね。それで『死ぬ前にダブリンに来てU2に会いたかったの』っていうんだよ。『皆いろんな手を使うけど、これは凄いな』と思ったけど、万が一のことを考えて笑いを押さえてたんだよね。で、その子とちょっと話をした。でも別に気に止めてなかったわけ。そしたら翌日BMW2台乗り付けて、デザイナースーツに身を包んだイタリア人が花を抱えてやって来てさ。不治の病の娘に良くしてくれたって言うんで、もうビックリしたよ。でもさ、こんな責任全部背負えると思う? 全能の神じゃないんだからさ。

 

  • 俺の味方はどこへ行った? なんてこった、俺は見捨てられてちまった。これは危機的状況だよ。俺たちは何か別のことをした方がいい。パブリシティをあおるとかなんとかするんだ。「ボノが未成年者とセックス・パーティ」みたいな。そうすべきだ。俺は俺の味方に戻ってきてもらいたいよ。

 

  • ダブリンの建物が壊されて、街が破壊されていくのを見るのは耐えられないよ。最近ロイヤル・ハイバーニアン通りを通りかかったときは、石を投げつけたいほど頭にきたよ。クライスト・チャーチ大聖堂の周りに建ってるあの箱みたいなのは何なんだって、怒りがこみ上げてさ。『まぁまぁ、街の外観を心配できるなんて、まともな人間だって証拠なんだからさぁ』ってラリーになだめられて。まったく、街の外観なんてどうでもいいっていう人間が多すぎるんだよ。

 

  • 俺たちは俺たちのルーツに戻る必要があると思う。90年代には伝統的なアイルランド音楽とかケイジャン音楽、あるいは古いソウル・ミュージックが聴かれるようになると思う。過去は素晴らしい、だからリバイバリストになろうってわけじゃないぜ。俺は前に進むんだ。

 

  • 「実際のところ、俺たち音楽に恋してしまったんだね」byエッジ

 

  • 「音楽が科学的になりすぎてるだろ? 50年代、60年代の音楽にあった気力とかエネルギーってものが感じられないんだよね。最近のレコードを聴くと、プロデューサーの作品を聴いてるって感じで、お互い触発しながらプレイしているミュージシャンの音が聴こえてこないわけ。その欠けてる何かを俺たちは自分たちの音楽に取り戻したかった」byエッジ

 

  • 僕をブルースに引き込んだ連中は羨ましがってるよ。僕が初めてブルースにのめり込んでることを。皆あの初めての感動を覚えてるから。

 

  • ブルースマン達には偉大なスピリットが感じられる。ソングライターとして、ぼくはロバート・ジョンソンの心の中には凄い詩的スピリットがあると思う。<ブルースがあられのように降ってくる、ブルースがあられのように降ってくる>…こんな言葉をぼくも書きたい。ぼくはアメリカの曲が好きだ。アイルランドの曲みたいに、その中心にはいつも大いなるスピリットがある。フォーク的な方向性の。

 

  • ぼくらはダルトン・ブラザーズっていう名前のカントリー&ウェスタン・グループを結成する予定だよ。ロックンロールはもうやめるんだ。万事心得たオッサンから言われたんだ。ロックで金は稼げない、これから本当に金を儲けたいならカントリーだって。

 

  • 「これもU2のまた別の顔なんだ」とエッジは真面目を装って答えた。「ぼくらは今ロックン・ロール・バンドの振りをしているけど、実はアダムはここ10年間ずっとバレエの練習を欠かさなかったんだ。毎日毎日すごく真剣に取り組んでるよ」「そう。未だに開脚を練習してるよ」ベース・プレイヤーは動じることなく続けた。「でも、どうしてもうまくいかないんだ」。

 

  • ぼくを安定した人間だと思うなんておかしいよ。だってぼくは最高に不安定な人間なんだから。バンドのみんなは、ぼくを見て『“混沌”がやってきた』と言う。ああ、冷静な人間になりたいよ。いつか自分の人生をきちんと整理して紐で結んで、アダムみたいにちゃんとした奴になるっていうのがぼくの野望なんだ。

 

  • 「俺たちって結構イカれてるんだぜ。俺の知ってるボノは皆がステージで観て知る限りのボノに比べたらホントにクレージーな奴だよ。人は誰しも内に悪魔を秘めてるものだけど、あいつの悪魔は特大だ」byアダム

 

  • ぼくは真の人間関係における精神的暴力をテーマにした曲を書きたかった。というのは、愛の暴力について、なぜ恋人たちがお互い苦しめ合うのかについて、興味を持つようになったからなんだ。大部分のロックンロール・ラヴ・ソングに描かれた世界は、やたらに甘ったるいけど、ぼくは人々が戦ったり、ののしり合ったりしながら、<現実的な>やり方で問題を解決するところまで描ききりたいと思ったのさ。

 

  • 僕にとって、愛ほどラディカルなもの、革命的なものはない。例えば二人の人間が、互いに愛情を抱くなんて、そんなことなかなかないだろう。僕の考える愛っていうのはやわなものじゃない。愛とは困難なものなんだよ。福音書の中のキリストは藁じゃなく鋼鉄だ。

 

  • 彼(ジョン・レノン)は、真実をひとつやふたつの簡単なフレーズに収められる。すごいよね。例えば“必要なのは愛だけ”とかさ。<クリプルド・インサイド>みたいなソウルに溢れた歌が書けるところも好きだ。すごくシンプルじゃないか。“たったひとつ隠せないもの。それは心がだめになってしまった時……”彼は自分自身の真実を語っていたんだと思う。

 

  • 14歳だからって馬鹿にしちゃいけない。俺はその歳にジョン・レノンを聴いて、物の見方が変わったからね。だから、14歳の子がどっかのグループじゃなくU2に来てくれるのはとても嬉しいよ。

 

  • アイルランドの詩人、シェイマス・ヒーニーとパトリック・カヴァナーは俺の作詞に多大な影響を与えている。アリの両親はダブリンの中心部にあるアイリッシュタウンで育っていて、カヴァナーがトレードマークの汚いレインコートを着て運河沿いを歩いていたのを覚えているそうだよ。

 

  • もし、俺たちがU2サウンドを完全にかなぐり捨てたら、もしずっぽりとゴスペルやカントリー、ソウルに漬かってしまったら……、きっとU2ファンの半分を振り払うことになるだろうなと思った。きっと耐えられないだろうと思ってね。だけど彼らはついてきてくれたんだ。俺たちが過去5年間にやってきたことを考えれば、俺たちがいちばん柔軟な観客を持っていると言えるんじゃないかな。いい曲を作る限り、ファンはついてきてくれる。俺たちがくだらない曲を作り始めたら、その時こそ終わりだろうね。

 

  • 俺たちがする妥協は俺たちのためにするものだけだ。俺たちは俺たちをインスパイアする音楽だけを演奏する。この2,3年で世界のいろいろな音楽を知った。フォーク、カントリー、ブルース、ゴスペル……。たまにカーティス・メイフィールドの「ピープル・ゲット・レディ」なんかを俺たちなりにやってみようとしてるよ。だけど、俺たちは本当に他人の曲をやるのが下手でね。それが自分たちで曲を作り始めた理由だよ。

 

  • 次の日目覚めた僕は<シーズ・ア・ミステリー・トゥ・ミー>を書き始めてた。そして皆がうんざりするほど、一日中ロイ・オービソンのことばかり話してた。バンドの皆に曲を――というか、曲になりかけのものを聴かせると、気に入ってくれてね。もしかすると、曲作りのおかげで僕がロイ・オービソンの話をやめたから喜んだのかもね(笑)。とにかく彼のことばかり喋り続けていたから。ウェンブリー・アリーナでコンサートが終わった後も、僕は楽屋に戻って歌の続きを作ってた。そして誰彼構わず、ロイ・オービソンの今までのレコードを買うように勧めていた。で、その時、ドアをノックする音がしたんだ。セキュリティのジョンが『おい、外にロイ・オービソンが来てるけど、中に入れてもいいか?』って。皆僕の方を見てるから、僕は『おい、僕は何も聞いてないよ』って。彼が来るなんて、誰も教えてくれなかった。それですごく笑われたりからかわれたり…。

 

  • U2にとって変な逆説というか矛盾なのは、俺たちが世界中で何百万枚もレコードを売ってる成功したバンドでありながら、常に俺たちを駆り立ててるのは音楽だってこと。ロビーに言わせると、俺たちには<フィーバー>があるってさ。今俺たちはその熱に触れようとしてるとこなんだ」byエッジ

 

  • 「<ディザイアー>も同じでね、ダブリンのSTSで初めて演奏したのが収録されてる。その後、LAのA&Mスタジオでもう一回録って、そっちの方がもっとタイトで、正確な演奏だったけど、なんか<フィーリング>が足りないわけよ。皆迷うことなくデモの方を採用したんだ。俺たちにとってはフィーリングっていうのが第一で、タイトで正確な音っていうのは二の次なのさ」byエッジ

 

  • 「ディザイヤー」では野心を描いた。……バンドをやろうぜっていう野心をね。バンドをやるのは世界を救おうと思うからじゃない。自分のため、ストリートから抜け出すためなんだ。群衆の中に埋もれるより、群衆に向かって演奏したいと思うのさ。そのことは白状しときたいよ。どうもU2のピュアな動機ばかりが注目されるきらいがあるけど、俺たちがバンドを始めたのはいちばん不純な動機からなんだぜ。学校がうんざりだったからだよ。工場で働きたくなかったし、政府のために働くのだってごめんだった。学校の教師にも、軍人にも、とにかく何にもなりたくなかったんだ。誰だって間違った理由からバンドを始めるんだよ。正しい理由からじゃなくてね。

 

  • 事実、こんなこと言うの恥ずかしいんだけどさ、そこの片隅で古いマイクを見つけてね。プロデューサーに使っていいかって訊いたんだ。そしたら「エルヴィスが使ったマイクだけど、もう使えないよ」って言うじゃないか。「本当に?」って尋ねたらプラグを差し込んでくれてね。そしたら使えるんだよ! 音はひどいの一語だったけど。だけど、これはホントだよ。「エンジェル・オブ・ハーレム」はエルヴィスのマイクで歌っているんだ! エルヴィスみたいに歌えたらと思うよ。

 

  • 「いやぁ、最初フィル・ジュノーに会ったときには、全盛期のモンゴメリー・クリフトみたいに撮ってくれるっていう約束だったんだけどなぁ。大嘘つき野郎だったってこったな(笑)」byエッジ

 

  • 俺たちの音楽にはメッセージがあるなんて言われる度に、自分が郵便配達にでもなった気がするよ。……ロックンロールは俺を目覚めさせてくれるノイズで、それがストリートを流れて他の人も目覚めさせてくれるっていうんなら嬉しい。快適な自由の中で眠り込んじゃいけないって強く感じるんだ。エッジもギターでエルサルバトルの闘争について俺の歌詞以上に訴えることができるよ。

 

  • サルバドルに行くと……、軍隊から憎悪の目で見られてるのが感じられるんだ。恐ろしかったよ。俺はある村に向かっていったんだけど、当の村が爆撃されてね。死ぬほど怖かった。どちらに逃げたらいいのかわからなかった。そうしたら一緒にいた百姓が俺に言った。「心配するな。近くないから」。彼は毎日こんな状態をくぐり抜けてきていて、恐怖と共に生きることを学んでいたんだね。俺はたった2,3週間いただけだったけれど。あの時は本当に自分の身が危ないと思った。兵士たちは俺たちの頭の上で射撃を始めた。ちょっと筋肉を動かしただけでね。本当に気分が悪くなったよ。

 

  • この間、コロンビア大学のデモに参加した。南アフリカでの出来事に抗議するハンガーストライキでね。行ってみたら「プライド」のテープが流れていたよ。どしゃ降りの雨の中で寝袋にくるまりながらそいつを聴いているんだ。すごく元気づけられたよ。そういう理由で歌を作る訳じゃないけれど、それが自分の人生に意味があるのと同様、他人の人生にもインパクトを与えてくれるのなら、うん、俺は嬉しいよ。俺たちのファンがたくさん、飢饉救済運動や反核運動に関わっていてくれるのもすごく嬉しい。みんな「ここで自分の場所を見つけよう」と思うんだろうね。それが彼らのもう一つの場所になるんだ。

 

  • ウェンブリーでさえ例外じゃない。まだU2の観客はいたけれど。最初のギグから来てくれて、『ボーイ』を買ってくれて、俺たちと一緒に成長し、変化してきた人たちがね。来年も俺たちのそばにいてくれることを祈るばかりだよ。

 

  • 俺たちは、初期のツアーの頃、LAで、殺人の脅迫を受けた。警察はすごく警戒していた。誰かがU2のオフィスに銃器許可証を送りつけてきて、その人物はすでにツアー会場に入っているものと警察は考えたんだね。不意にステージの上が警官だらけになって、すごく嫌だった。俺はそんなことが起こるとは思ってなかったし、実際何も起こらなかったんだ。笑い飛ばしてやったよ。ブルース・ブラザーズみたいにさ。「俺たちゃ神の使いで、まだ使命は終わってないぞ」ってね。でも2日目の夜、出番直前に警官がやって来て、間違えたって言うんだ。奴は今夜やって来る!って。笑いがピタッと止まったよ。

 

  • 今や、俺たちはあらゆる人種差別主義者の侮蔑を受けるようになっている。マーティン・ルーサー・キングについての歌を書いてるからね。左派からはアムネスティ・ツアーのことでよく思われてないし。どこへ行っても狂信者集団のターゲットなんだ。それでその2日めの夜、ステージの上で「プライド」を歌いながら、「やるとしたらこの曲の間だろう」と思った。ステージに身をかがめて目をつぶり、一瞬、脅迫のことが心をよぎった。目を上げたら、アダムが俺にかぶさるように立っているのが見えた。俺と群衆の間をさえぎるようにしてね。すごく、すごくいい瞬間だった……。卑劣な野郎は決して好きになれない。

 

  • 昔の曲が演奏できなくなりゃ、新しい曲を書くまでさ。そうやって生き延びて、ツアーをこなすしかないよ。他人が気に入らなくても僕は構わない。まだ何曲アルバムに入れるか決めてないけど。君も気に入らないかも。U2のファンも気に入らないかも…でも僕たちには必要なことなんだ。

 

  • 『魂の叫び』が嫌いな人は次の作品も嫌いだろうね。音楽的な意味で言っているんじゃないよ。こういうやり方でこれからもレコードを出ていくってこと。俺たち自身のため、それから俺たちのレコードを一生懸命聴いて細部まで分かってくれるオーディエンスのためにレコードを作り始めたんだ。俺たちは90年代のグレイトフル・デッドなのさ。

 

  • ぼくらは最高の十年を送ってきた。だけど、しばらくは何か他のことをしていなくちゃ…。ほんの少しの間、逃げていなくちゃいけない。このギグはぼくらにとって、君たちにとってパーティみたいなもんだ。永遠にこうしているわけにいかない。