賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

最後の一撃

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ブライアン・イーノのアルバムを2枚買っちゃいました。

イーノ先生、最高っす!!
あれ?確か俺はKT Tunstallを買おうとタワレコに行ってきたはずだったのに・・・?
hisigataさん、ごめんなさい。KTタンストールは次回タワレコに行った時に購入します。それにしてもこのジャケットは帯が付いてないと、誰のなんだか良く分かりませんね。U2の「 No Line On The Horizon」もそうですが、こういう匿名性は、なんか好きだな。
 
そんでもってイーノ先生の新作「スモール・クラフト・オン・ア・ミルク・シー」なんですが、いやあ、格好良いですねえ。タワレコのPOPでやけに絶賛されてまして、半信半疑で(失礼)試聴してみたところ、これが本当にカッチョよくてたまげました。すごい! イーノ先生はやれば出来る子。
 
タワレコ限定発売の「Making Space」も思わず買ってしまうというものですよ。冒頭の曲の出だしがポリシックスのこの曲と似ていて笑ってしまったということもありますが、この「Making Space」もいかにもなイーノ・サウンドが満載で良いですねえ。ちなみにポリシックスには「ENO」というアルバムがあります。タイトルの由来が、ブライアン・イーノと別段関係ないというのがポリらしくて面白いですね。イーノかそれで(ダジャレ)。

お前、それが言いたかっただけとちゃうんかなツッコミはさておき、イーノ先生の音楽は東洋的と言いますか、自我(エゴ)というものがまったく感じられないのが良いと思います。いわゆる無我の境地というヤツですね!
聴いていてとても気持ちが良いのですが、日ごろ自己主張の強いロック・ミュージックばかり聴いている人間にとっては、アクがまったくない分、途中で退屈してきて眠たくなってしまうというのが問題なのですが、今回はアルバムの中盤に盛り上がる曲が何曲も用意されてますので、あまり退屈せずに聴き込めるというのが高ポイントですね。眠くならないイーノ先生のアンビエントなアルバム、すごい!(笑)
 
イーノ先生のアルバムは、少し聴き込んでは遠ざかり、思い出したように聴いてみては、またいつ間にか聴かなくなったりと、ファンだかなんだか良く分からないのですが、年齢を重ねるたびに、イーノ先生の作品が好きになってきたよーな気がします。次に聴き込む時は、晴れてファンと名乗れそうな気がしますよ(笑)
 
そんな微妙な距離感なイーノ先生なのですが、今月のロッキング・オンのインタビューで、U2についても語ってましたねえ。特にこのくだりが面白かったです。
 
それと、ぼくが彼らのことが好きなもうひとつの理由は本当にがむしゃらに仕事をするからなんだよね。本当にどこまでも懸命にやるんだよ。でね、絶対に気を抜いたり、楽にやろうと考えたりしないんだ。連中の言い方を借りれば、なにかが『グレイトじゃない』時、すると、それがグレイトになるまで、何度でも何度でも何度でもやり直していくんだよ。
 
一生懸命仕事をするというのは、当たり前と言えば当たり前なんですけど、イーノ先生も世界有数のプロデューサーとして、様々なバンドの制作現場に立ち会った人なのですから、U2の「頑張り具合」というのは、他のバンドと比べても相当なものなんだろうなあと、このインタビューを読んで改めて思います。
 
週刊少年チャンピオンというマンガ雑誌に、「ブラックジャック創作秘話」(吉本浩二)という作品が不定期に掲載されており、その中のエピソードに、アシスタントの1人が完成したばかりの手塚治虫の原稿を「面白くない」と漏らしたばっかりに、締め切り直前にも関わらず一から描き直すというものがあったのですが(「壁の穴」)、なんかそれを思い出しました。一流と呼ばれる人たちというのは、やはり皆少し頭がおかしい尋常ではない努力家なのですね。
 
その、尋常でない努力、飽くなき完璧さへの追求(「最高以外のなにを目指すっていうんだ?」)は、時に奇矯なものに見えることがあるらしく、昔のクロスビートのU2記事に、アンダーワールドのカール・ハイドが面白いコメントを残しています。
 
 
僕らは特に考えて曲作りはしてないけど、U2は相当不思議なグループだよ。理解不可能な面もあるし、腹立たしく思うこともある。でも人間的には本当にいい人たちなんだ。(中略)でも、不思議なグループだよねえ。作られてるように見える部分も結構あるしさ。彼らほどうまく、大袈裟にはできないよな。作られた面もカッコよくみせられるんだ。
 
 
U2のアルバムに何度も「理解不可能な面もあるし、腹立たしく思うこともある」ワタシとしては、とても共感できるコメントなのですが(笑)、ブライアン・イーノの参画によって、U2の音楽のある種のグロテスクともいえる面を相当緩和しているのではないかと思ます。「POP」の再レコーディングなんて噂もありますが、その際は是非イーノ先生も参加して欲しいなって思います(笑)
 

ということで、妙に長くなってしまいましたが、実に久しぶりのU2記事であります。申し訳ない。
ええと以前、ポンキーさんの記事に触発されて「出だしの一撃」という記事を書いたのですが、今回はその続編という形で、最後の一撃、すなわちアルバムの最後を飾る曲について書いてみたいなと。

U2のアルバムのオープニングの曲はみな強力で、「I Will Follow」「Gloria」「Sunday Bloody Sunday」「A Sort Of Homecoming」「Where The Streets Have No Name」と、こう並べてみると圧巻ですねえ。彼らの驚異的な成長ぶりが分かりますね。まさに出だしの一撃です(笑)
それではエンディングの曲はといいますと、まずは1stアルバムの「BOY」からShadows and Tall Trees
 
 
 
 
 
 
10曲目のThe Electric Co.から流れるようにこの曲が始まるのですが、もし「BOY」がこの曲でなく、The Electric Co.で終わっていとしたら、パワフルだけど凡庸なアルバムとなっていたかもなあと思います。このマジカルな曲を最後に置くことによって、The Electric Co.のフィジカルな高揚感から、精神的な高揚感へとごく自然に移行していき、このアルバムを忘れ難いものにしております。
つくづく「BOY」は完璧なファーストアルバムだったなあと、この曲を聴いて思いました。ちなみにShadows and Tall Treesはリマスター盤などでデモ・ヴァージョンを聴くことが出来ますが、ファンの目からしてもかなりヘッポコです。スティーヴ・リリィホワイト恐るべし。でもデモ・ヴァージョンの、そりゃエッジもクビにしたくなりますよな、ボノさんのへろへろな歌い方もキライじゃないよ?と無意味なフォロー。
 
 
 
 
 
 
続いて2ndアルバム「October」よりIs That All ?
恐らく、数あるU2のアルバムの中でも最も影の薄いエンディングの曲(笑)。すみません、正直ワタシも久し振りに聴いたような気がします。
ここはやはり、辛口大王のビル・グラハム先生にお越し願うことにしましょう。
 
アイリッシュ・オクトーバー』は、本当は「スカーレット」で終るべきだった。この曲は、いわばつけ足しである。エッジのリフは画期的ではあるが、彼らの方向性は全く見えない。スティーヴ・リリーホワイトは、ダイナミクスで効果的な処理を施したというよりは、ラリーのドラムを前面に出すことでボロを隠そうとしたようだ。(「U2全曲解説」p31)
 
 うむ、ボロクソだな! だがそれがいい
最後に口笛を吹いちゃったりなんかして、本当にボーナストラック、「オマケ」っていう雰囲気が濃厚な曲なのですが、ただ「Is that all?」(それで全部なの?)という言葉を連呼するのは、ボノさんらしくていいなと思います。
アイディア不足のところを勢いだけで乗り切った感もあるOctoberを象徴するような曲、というのは言い過ぎでしょうか(笑)。この曲がお好きな方、ごめんなさいです。
 
 
 
 
 
 
 
3rdアルバム「War」より40
名曲とは何か? それは40のような曲のコトを言う。
と定義したくなるくらい、いい曲だなあと思います。ツアー中、バスの後部座席で賛美歌を歌っていたという、当時のU2(アダム様を除く)のメンタリティーが、ありありとうかがえますね。
この曲のレコーディングは、本当にあっという間に仕上げたそうですが、それだからこそのリアリティー、「本当のことを言っている」という印象があります。ウソがないということは、とてもいいコトです。
前作は、主に歌詞の面から「宗教的なアルバム」と形容されることが多いようですが、サウンド的には、彼らとしてはかなりハードロックに近づいたアルバムという風に言えるのではないかと思います。そういう意味で、この40は、歌詞もサウンドもOctober全曲ひっくるめたより宗教的な曲だと僕は思ってます(笑)
 
 
 
 
 
 
 
4thアルバム「The Unforgettable Fire」よりMLK
このアルバムから、ボノさんの声が変わったなと思いました。
「変わる」というのは「成長した」とか「上手くなった」という意味でなく、質的に根本的に変わったなという印象です。いっそ「生まれ変わった」と形容したいくらい(笑)
この変化はなんだろう? 多分それはボノさんの精神的成長というものではないだろうか。このMLKでは、40の頃にはまだかすかに残存されていた甘さや少年らしさというものが完全に払拭されている。ある「決意」が、少年から大人になったと、そんな陳腐なストーリーを思わず構築したくなりますよ(笑)
 
その「決意」とは、的外れを覚悟で物申せば、「音楽は世界を変える」というテーゼと心中する覚悟なのではないかと思います。かなり大袈裟な物言いで大変恐縮なのですが、それくらいのものでなければ、この変化は説明がつかない、と僕は思います。
 
その決意を実行するためには、なんとしてもこの声でなければならない。この声を出さなければ、その決意はウソになってしまう。「人間が理想を捕まえるのではない、理想が人間を捕まえるのだ」というシラーの言葉がありますが、この時期のボノさんはまさにそういう、理想に捕まってしまった人間の声に聴こえます。
 
 
自分がいいシンガーだと思わない。でもそうなりつつあると思っている。『焔』の時、自分の声に何かが起こったと感じた。その感じは『ヨシュア・トゥリー』でも続いていて、しかも更に強いものだった。『焔』の最後にイーノが、「ボノは十分僕を満足させてはくれたが、持てるものすべては与えてくれなかった」と言った。このレコードではあの時よりたくさん彼にあげられたよ。でも、この次はもっと与えられる。そんな確信があるんだ。 (「「ボノ語録」p14)
 
 
シンガーとしてのボノさんは、このアルバムから始まったのだなあと思うと、感慨無量の気持ちになります。ぎりぎり、リアルタイムで聴くことができたはずでしたので(中学生くらい?)、もっと早くにU2を知って、このボノさんの「第二の生誕」の現場に立ち会いたかったなあというのが、ワタシの後悔のタネのひとつです(笑)