補足:「道徳を基礎づける」(フランソワ・ジュリアン)より
孟子の考えでは、道徳性は、気の邪魔をするのではなく、逆に、気を解放し、促進する。
なぜなら、気は、利己主義によって閉じ込められると、その中で弱まっていくが、道徳性の効果を得ると、高まり、限りなく広がっていくからだ。
孟子は言う。道徳性によって、気は、萎縮するのとは反対に、「至大」、「至剛」となる。だからこそ、道徳性は、わたしたちをストイックに不動にする。
「直(ただ)しさによって養い、害されることがなければ」、波がたえず「広がる」海のように、気は「天地の間を満たす」に至る。
気は、「道徳性と一緒にあれば」、溢れんばかりだが、そうでなければ、心に「不満足」があるわけだから、萎える(其為気也、配義与道、無是餒也)。
もう一度、孟子は注意を喚起する。気の開花は、目的として立てられ、計画された結果として得られるような、目指された対象ではありえない。
植物を引っ張って生長させられないように、人は気の開花を故意に進めることはできない。
とはいえ、植物の周りの雑草を抜き取るだけで、その植物が自然に発育できるのと同様に、ただ「義を集める」だけで、気はおのずと開花する。
さらに言えば、この帰結は、有利な条件設定をしておくことで間接的に得られるもので、孟子が述べるように、襲って「取」るものではなく(是集義所生者、非義襲̪而取之也)、変化して成熟するものなのである。
(中略)この変化を最後まで辿ると、無制約者(←「天」とか「神」とかそんな感じby賽の目)も、もはや純粋な観念ではなく、感覚できるものになる。
それは、神秘的な直観や、忘我によってではない。単に拡充の効果によってであり、そのエネルギーは道徳性から自然に与えられたものである。
道徳的な人格は、その個別性の諸限界を越えて、無限定な者に開かれ、「天地の間を満たす」(プラグマティズムなミスティシズム?by賽の目)。
あるいは、孟子が別のところで言うように(尽心上十三)、「上にも下にも広がり、君子は天地と流れを同じくする」。
西洋において、この現象を最もうまく説明したのは、ルソーである。ここでルソーの定式が『孟子』の定式と触れ合うことに驚くことはない。
エミールを躾るにはどうすればよいのか。それは、「彼の心にみなぎる力が働きかけることのできる対象、心をのびのびとさせ、他の存在者に広げ、自分の外の至るところで自分を再発見させる対象」を、エミールに与えてやるだけでよい。
その反対に、「心を締めつけ、心を集中させ、人間の自我を緊張させる対象は、注意して遠ざける」べきである(『エミール』中、六九-七〇頁)。
テーマの立て方は、両者とも同じで、道徳的な人格を広げることは、その利己的な偏狭化と対立する、というものだ。
その時、エミールは、「わたしたちを自分をこえたところに広げ、満ち足りていてなお余りある活動力を、他のところに差し向けるような、力の状態」を感じるだろう(『エミール』中、八一頁)。
さらにルソーは、「あり余る感受性」とも述べているが、わたしには、それが、「浩然の気」という翻訳不可能な表現を最もうまく表していると思われる。
道徳を掘り崩すことをあれほど喜んでいたニーチェまでもが、ここで合流する。そしてこれは見かけほど意外なことでもない。
ニーチェは「利他主義」を責めるが、それは「利他主義」が、西洋のイデオロギー的な伝統において、「憐れみ」を損なってきた痛苦主義(苦痛の礼賛)に甘んじているからだし、良心(転倒した疚しさ)や、道徳主義の命令と拘束を強調しすぎているからである。
しかも、ニーチェは、生の観点から見ると、「利己主義」もまた「誤りである」と認めているのである(『権力への意志』第四章第六一三節)。というのも、生そのものは、躍動して、無制約者に向かっているからだ。
そして、無制約者は、可知的世界での抽象的な観念ではなく(この点でカントに反する)、経験されるものである(ここであらためて、ストイシズムに近づく)。ニーチェは続ける。「『我』と『汝』を乗り越えよ。宇宙的に感じよ」。少なくとも、この定式は、『孟子』に呼応している。(295~298p)
道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ (講談社学術文庫)
- 作者: フランソワ・ジュリアン,中島隆博,志野好伸
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/10/11
- メディア: 文庫
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こちらの本も、わりかしワタシの知的レベルをオーバーしてるのですが、四苦八苦しながらも読んでいたのは副題の通り、「孟子vsカント、ルソー、ニーチェ」という東西対決に惹きつけられたからです。
孟子よりも西洋の解釈の方がピンとくるというのは、イチ東洋人として恥ずかしい話なのですが、「浩然の気」などという言葉もルソーの文脈で解釈した方が理解が早いですね、合ってるかどうかはさておき。
野口武彦さんの「王道と革命の間」という本を読んで孟子の面白さといいますか、日本に与えた影響力の深刻さというものを教えてもらったものですが、令和の時代にあっても、この孟子の魅力(危険さ)はまだ保持しうるんじゃないかとも思います。勿論、ナマに直接的にではなく、あくまで回顧的な形でしょうが、なにはともあれ、一度はこの門をくぐらないと民主主義もへったくれもないんじゃないかって気がしますよ。
最後に「王道と革命の間」の最後の言葉を。あ、陽明学と孟子の関係については、第4章「江戸陽明学と『孟子』」の中で述べられており、大変勉強になりました。
『国体論及び純正社会主義』の最終章は、その著者(北一輝)が『孟子』に即して時代最大の問題を論じたまさにその故に、江戸時代このかたの「王道」と「革命」の問題にかかわる創造的思考の棹尾を飾ったのであった。北における「王道」としての天皇制、「楽土」としての社会主義の合歓の夢の行方は杳として知れない。まこと、三島由紀夫の言葉どおり、「北一輝の支那服を着た瘦躯」は、昭和史に投げかけられた「不吉な映像」であった。その「不吉な映像」の暗影は、北の思想の総体をつちかった明治啓蒙主義、社会進化論、社会民主主義等々さまざまな波長の光背にいろどられている。その一つのもっとも遠い光源として、『孟子』七書は、疑いもなく近代日本に最後の残照を投げかけていたのであった。