賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

イーノの日記抄

5月2日5月2日U2(グループ全体)と次の録音セッションについて電話で話す。

5月9日アイルランドで好きなのは、それがわたしの最良の部分を引き出してくれるから――それとも、だれでも最良の部分を引き出してくれるU2のおかげか。これだけの時間がたっても、メンバーたちの間に礼儀と理解と愛情があるのを見るのはすばらしい。
昨日のミーティング:聞いて、選んで、パヴァロッティが見事な新しいスタジオに電話をよこす。これ以外にあり得ないタッチ:かれらにとって、まさにぴったりの場所。ボノはいつもながら派手に野心的――一瞬のうちに、パヴァロッティ/モデナプロジェクトを、世界のアーティスト半分を含めた巨大な代物にふくれあがらせる。なんというビジョン――すべてを同時に生じさせ、手持ちのアイデアをすべて手持ちのプロポーザルに結びつけてしまう(そのプロポーザルとは、15秒のサウンドトラックにすぎないのだが)。これがかれの才能だ。リアリストのラリーはその風船に針を刺し、多少小さくして引き下ろす――少なくとも実現の可能性のある領域へ。
ボノの家(ゆっくりと美しさも複雑さも高まりつつある)、すわってしゃべってタバコを吸って赤ワインを飲んでいると1時半になってしまった。(中略)

5月24日ボノはこれが占領下の歌になるんじゃないかと考えはじめている。街が銃撃にあっているときに日常生活(ピアノを弾いたり靴を買ったり)を営もうとしている人々の歌。ボーカルのアイデアがおもしろい展開。ボノはまず「髪を刈る時間はあるか」という歌詞から入り、それがかれの最近のカタログ羅列式の作詞でだんだん「あれやこれやの時間はあるか」に移行する。そこでわたしは、他の声が各詞の前半を歌うようにしようと提案――モータウンが念頭にある――そこでエッジとわたし(2人で今やEノートとして知られる)が歌う:「時間はあるか……」そしてボノが残り歌詞で応える。こちらはもう一回、「時間はあるか」と「時間」を交互にやって、最終的に「時間はあるか……時間……時間はあるか……時間」となるが、二回目でのスタンザでは最後の詞が単に「時間が」になる。もちろんボノは生まれつきのシンガーなので、隙間をすべて埋めて歌い、我々のパートにまで重ねて歌う。わたしは、それはあんまりよくないと言い続けたが、ボノはそうせずにいられないとのこと。あんまり悪くもないのは事実。シンガーという連中はアラブと同じで、真空を恐れる。そしてこの場合の真空とはつまり「自分が歌っていない時」に相当する。でも結果は非常に魅力的――霧がかった憂鬱な苦い優しさが、セッティングのシャープさに際だつ。セッティングは、ミス・サラエボ・ビューティーコンテスト(セルビアサラエボを銃撃している時に、ボスニアのアーティストとそのガールフレンドたちが意図的にキッチュな美人コンテストを催したのだ)。このようにかれらと仕事をするのは実に率直――エゴによる判断はないし、政治もない。これこそパヴァロッティ向けの歌かもしれないとみんな思う(かれはまた電話してきた)。
一方コントロール室では(その曲が流れる中)ボノとエッジが新しいジェームズ・ボンド映画「ゴールデン・アイ」の主題歌を書いている。彼らは一度にやることが多すぎるときに開花するようだ――スタミナと熱意を噴出させつつ、みんなにあらゆるものを信じ込ませる(そして時にはそれをまんまと実現させてしまう!)。
スタジオを11:30に発つ。エッジとボノとわたしは深夜営業のパブへ寄って人々についておしゃべり。飲んだのはブラック・アンド・タン。

5月25日今日はまたもや「Tenterhook」の作業。ほかのだれもやってこない朝のうちにストリングスを試したが、小さなオルガンのパートが一番うまくいく。歌が形になってきて、ボノがパヴァロッティのまねをする――非常にうまい――そしてわたしたちはかれの声楽教師に電話をかけて、パヴァロッティがこれを実際に歌えるかどうか聞いてみた。彼女は、大丈夫とは言ったが、しかし長く高いB(だと思う)で血圧がちょっとあがるだろう、とのこと。
歌の構造が決まるが、いまの時点ではパヴァロッティは一番必要性の低い部分としか思えない(これは彼の声を念頭につくった歌ではあるのだが)。歌は目下7分。エッジは、歌詞にもっとドラマが必要と考えている。わたしはもっとことばを減らすべきだと思っている。
長い一日仕事(10:30am-11:30pm)。間に豪華な夕食と、いろいろなドラッグについての話やその利用や誤用についてがはさまれる。エッジの爆発する頭の話。ボノの友達が犬に変身して、かれは笑わないように苦労している話。ボノは10時くらいに気分が悪くて帰宅。エッジとわたしはトスカに向かう。アリがいつもながら圧倒的に陽気で美しく、グッギはやせ衰えて豪華に憑かれている。わたしたちは検閲について話し合い、わたしは昔からもっているアイデアを語る。(中略)
この人たちは、生きて楽しむ方法を実によく知っている。そしてそれは金の問題ではないようだ。スラムであろうと宮殿であろうとこのように生きるのであろう。ちがいはかれらのとる選択にあるのではなく、どれだけの選択を行うかの回数にある。

5月26日すばらしい一日。「Fleet Click」──わたしがホルガー・チェンデルレインとやったロンドンのセッションからの驚くべきオーバーダブを含むことが明らかに。即座にすばらしい代物となったが、ボノのオリジナル・ギター(コードの動きを示唆する唯一の楽器)をなおそうとして時間を使い、それからそれを使うことに決めて、それを中心に曲を編集するので時間がかかる。驚異的な展開として、不思議ですばらしい歌が現れた──音楽6分間のあとで突然バックボーカルをやる。みんなが手伝い──最高の協力体制(デスが豪華なサンプルを思いつく──「Love is Blindness」より)。
昼食時には、哲学大系比較論。ボノはユダヤキリスト教がよい結果を生むと固執

5月28日アダムがかれの特注車の一つで連れまわしてくれる――車の底が地面から二ミリくらいしか離れておらず、死ぬほどガタつく。もちろん迷子になったが、その日の美しさとアダムの会話の楽しさのため、どうでもよく感じる。かれはナオミについて話したが、とげとげしさや隠し事や、彼女を犠牲にして自分をよく見せようとしたりするところは皆無で、わたしは感心した。非常にバランスのとれた人物だ。

5月29日DARTに乗ってダブリンへ。朝にはディメンション・ボックスを使い、「ドラム・ループ・スロー」の作業。みんなが絶好調の一日――出だしは非常に月曜の朝っぽかった。ボノはわたしが何気なく弾いたメロディーを聞きつけ、それをマシンに向かって歌う。それからエッジが入ってきてオルガンを交代(黒い音符が多すぎて、わたしには悔しいが弾けなかった)、自分なりのメロディーを編み出す。わたしはボノのテープをチェック――両者は全く同じ旋律だった。それからギターのとりなおし。それからアダムがすごいベースを演奏。――最近は、弾き方に権威と抑えが出てきてすごくうまくなっている。それからボノとエッジとわたしが歌う。曲が起きようとしていた。そうそう――途中でつなぎに新しいパートを書いた。さあラリーが新しいドラムをつける――ダントンの見事な音。思い出せる限り、一日中うまくいかなかったことがなかった――ダメなトラックは一つもない。
そしてオシー・キルケニーと夕食――己の腹を楽しむ男だ。十年にわたるよい食事の彫刻的達成物。仕事に戻ってタンバリンと新しいボーカルをつけると――バーン!すごい曲(「Your Blue Room」)。一日中エネルギーが右肩あがり。帰りの車の中でボノとわたしはメロディーを修正、かれのブリストルの中で死に神をもてあそびつつ歌う。ボノは本当に死後の世界を信じているかのような投げやりな運転をする。これはタイやギリシャで見られる運転だ。

5月30日「Turning into Violins」の作業を始めたが、出だしはブリリアントだったのに、なんだか平凡な曲に落ち着いてしまった。(ピカソ曰く「ブリリアントな出だしほど悪いものはない」)……中略……「こいつは歌になる」と思ったとたんに、構造やポジショニングやエネルギーの流れに関する古い習慣が舞い戻ってきた。歌をつくろうとしてはいけない。よそ見をしている間に創造してしまうのだ。そもそも音楽をつくろうとしてはいけない。この曲はレコードに入れない。
マリウスが到着、「New Wave Pulse」でいい仕事。
ボノ曰く「急に気がついたんだけど、いい人生がもう半分終わってしまったんだなあ」

5月31日「Loop 14」では群衆の声をやって、それからふつうにボーカル(「…out of mind,out of light」)をやったが、うまくいった。ボノは終わり近くで気に入った演奏を聞きつけて、そこでそれをもう一回ダンプしなおし(数時間がかり──デジタルテープだと簡単に切りつなげない)。マリウスが非常にグルーヴィーだがいささか定石すぎる感じの「Military Jam」をつくる。ラリーは最近とても愛想がいい──部屋にいい雰囲気をもたらしてくれる。

6月2日入り──「Military Jam」の上出来リミックス。声と雰囲気が、エッジのスタイルで仕上がる。それ以降はまたもやMJの作業でいらだたしい一日──ボノが歌を開発しようとする「天国の(なんとか)、天国の(かんとか)、(なんたらの)門はどれほど広い」。なにかしらピンとこない──ブルースっぽすぎるしマイナー。あまりに「既知の」感覚。感情的な複雑さがない。単に相変わらずの音楽という感じ。わたしにも改善策がないので、唯一の貢献は列車そのものを脱線させること。しかしそれがその後一日だらだらと続くことになる。
ボノが、いっしょにツアーに行こうという――ハウイー・Bととびいり出演みたいにして(かれ曰く「たった4ヶ月のことだよ――それでヨーロッパがもう4ヶ月か」。わたし曰く「47歳になるとそれは『たった』じゃないんだよ」)。

6月5日だれも4:00まで顔を出さなかった――アダムとラリーがやってきて、エッジとボノは7:00amにまだ宴会中だったとか(エッジの兄弟と、男だけの宴会だったのだ)。なるほどね。「Slow Star」のミックス(短一のボーカルラインを進めて完璧だった歌のパートに混ぜ、ひずみを隠すために味の素ムシを加える)。
さらに「Davidoff」と「No Wave Pulse」のアンビエント・ミックスをつくる。

6月6日既存材料を再生し直す。「Heaven」と「Theremin」は落とすよう提案。ダメなものに時間をかけてもしょうがない(がいつもながら、時間をやたらにとるのはこのダメなものなのだ!)。というわけで、曲のリスト──そしてその宿題
Fleet Click 編集、歌詞の分割Your blue Room 歌詞の決定、バックボーカルMiss Sarajevo 歌詞を固める。パヴァロッティ?Tokyo Drift ストリングス?Tokyo Glacier トロンボーンを整理Seibu(Lare Entry) 刈り込むDavidoff  No wave Pulse  Loop 14(out) 歌詞。バックボーカルAntarctica 頭をちょんぎるいとをかし  Slow Sister  

7月3日ダブリンへ。着いてぐったり。ダントンとヒューが迎え。
作業に戻る。思考がまだ十分にまとまらない。通しで聞いている間、ボノはすべての曲に対してメロディー上の(つまりは歌の)アイデアを出してくる! この野郎は歌わずにはいられないのだ! ――体中のすべての穴から歌がふきだしている! マイクロカセットが煙をあげる。それから「Fleet Click」の作業。ボノはこれが平板で、特徴がなくて、何の決めもフックもないと感じ、そこでかれはメロディ上のアプローチをいくつか試してみる──ブラック・サバスの「パラノイド」(!)も含んで──が、結局はまだどこにも行き着かない。夕食、ボノは髪を切る(あまりにショッキングで、ほとんどそれが彼だとわからなかったほど)、それから「Seibu/Slug」の作業、だんだんよくなってくる。美しい曲がどうしようもなく立ち現れてくる。1:10amに戻る。

7月4日長い、長い、長い一日――マークとボノといっしょに車で街に行ってから本屋に立ち寄る。(「直感は知性のコンパス」――ボノ。「知性を感情とマッチさせようとする努力から成功は生まれる」――わたし。ヴァン・モリスンに関するトム・ポーリンのエッセイについて議論)かれらは自分のホテルに関する施工業者との打ち合わせに向かう途中。まったく! ――正気の人間が本当にホテルを所有したいなんて思うもんか!
「Seibu/Slug」作業、ボノがミックスを完全に脱構築したにもかかわらず完了(これはボノが圧倒的に正しかった。最初は頭にきたが)。それから「Tokyo Drift」に進む。これは87回かそこらに聞くと、だんだんつまらなくなってくる。が、わたしはこいつを信用している──なんとか他のエネルギー源がいるのだ。この軽薄な牧歌調を和らげる何かが。
エッジは親切さ/気配りについて、非常に女性的な感覚をしている。

7月5日ボノが便利なのは、良いアイデアをすぐに見つけて支持し、それから理にかなった変更を加えてくれるところだ(たとえばわたしのせっかちな歌詞を改善するとか)。ボノとアダムは義理の兄弟のジュリアンとエイドリアンにすごく親切でもてなし、よく接してくれ、必要以上の努力を払ってかれらを居心地よく歓迎されていると感じさせてくれた――このわたしでさえ、気がつくといつもより愛想が良かったほど。

7月6日「Davidoff」の作業をして失敗──単なるアンビエントのごった煮。ボーカルとベースをつけてみたが、最終的には投げ出した。感情的に空っぽなのだ。それから「Tokyo Glacier」に移って単純で広がりのあるドラムの感じを見つけた。じきにあたりは騒然となって、突然アダムはDX7のベースを弾き、エッジはギター、わたしがその処理、ボノは歌い、ハウイー・Bがレコードプレーヤーでスクラッチ、ラリーはDX7。みんながコントロールルームに入り、電球からぶら下がるはテーブルの下にもぐるは。かわいそうなダントン。もうめちゃくちゃ──だがとてもエキサイティング。

7月7日2:45am。なんといういかれた一日――パヴァロッティが電話(二回も)、ボノが全員をモデナで演奏するよう説得する(ポールは根本的に反対、理由はそれが全部マフィアがらみで、ウォーチャイルドには一銭もいかないだろうというもの。ラリーとアダムは、まったくの押し掛け同然と考えている)が、最終的にはエッジとボノとわたしだけということに落ち着く。ボノがやりたい理由:「サラエボとのリンク(Zoo TVでの)でイギリスの新聞からあんだけ叩かれたんだから、そんなものでビビったりしないのを見せてやるんだ」
ドナル・ラリー他はアダムと「ジャマイカアイルランドの出会い」レコードの相談。シャンティとアドの兄弟セバスチャンが訪問。デイヴは受付でサックスを吹く(「Tokyo Glacier」で:うまいね)。「ミス・サラエヴォ」:エッジがゲリラ式にオーバーダブを押し込む。

7月8日今朝はヒューイーとプールのカバーを修理しようとして、イブと遊ぶ──すばらしい、空想的な、自分に憑かれたような子供(エッジの話だと、3歳の誕生パーティーでみんなが「ハッピーバースデー」を歌ったら彼女は部屋から駆け出して、「こんなことをするなんてひどい」といったそうな)。彼女がボノとアリ(ちなみにわたしの一番お気に入りの恋人たち)から何を受け継いでいるか見るのは興味深い。
人生というヤツは。アダムは5:00amまで結婚式で、ボノは8:00まで起きていたと。
スタジオを去るとき、若いイタリア人のファンが駐車したボノの車をのぞき込んでいた。いちばんきれいな子がキスをねだり、ボノが応じてやると「もう一回いいですか?」

7月9日一番にアダムの家へ――(中略)。ボノはあらゆるものにすごい食欲を示すが、どんどんおもしろくなってくる――のんだくれて「昼間から酒を」を歌い、スザンヌ(すばらしくアングル様式の背中と臀部)とアダム(ショッキングなほど引き締まったからだ)といっしょに風呂に入っている。アダムは見事なバスキアの絵をもっている――黒と青だらけで、非常にアフリカっぽい。

7月10日早めに(掃除の人といっしょに)スタジオに入って、ジャケットと「Slow Sistar」(「Time」)の作業、これは終わった──ありがたいことにボノがもっといいミックスを思い出して、結局それを使ってその上からわたしが重ねた(ピアノのパートを二重化)。
みんなが帰ってから、われわれは「Loop 14(out)」にかかる。この歌詞にはすぐに愛想が尽きたのだが、でもキックドラムからすごいDX7のベースを重ねて(マイクチャンネルでディストレーションをかけた純粋サイン波)、するとまったく新しいものに生まれ変わった。「Always Forever Now」(デミアン・ハーストの絵から)、ボノがリードボーカル、そのすぐ後ろにイーノート。この曲は5割くらい長すぎる。
「Seibu」編集、ジャケット──きょうはなにもかもやろうとしている気分。バンドが集中していないのでちょっと腹が立ったが、その晩の作業(Always Forever Now)は成功裏に終わった。

7月11日それから「Always Forever Now」に戻るが、そこでボノが「自分のサインの入った」代物をやりたいとのこと。そこで3時間にわたりエッジが勇敢にもオーバーダブ、わたしはなんら有益なアドバイスを与えられない。船頭が多すぎる──わたしは隣の部屋に移動。その間にボノはアイルランドTVのインタヴューをこなし、ジム・シェリダンのフィルムテストをして、キャロル・キングとスタジオのなかで歌を書いている。長電話、ハウイー・Bが「Fleek click」の混乱したミックスをもって駆け込んで(技術的なトラブルで昨晩の作業がほとんど消えてしまったそうだ)、ラリーは自分が参加したエミルー・ハリスのミックスを聞き(かれも速いコンガとボンゴドラムを曲につけたそうだが)、アントンが到着。

7月12日またもやカオスの一日──出たり入ったり、そこにアントンの写真撮影が割って入る(わたしのウェイター姿等々)。とはいえおもしろかった。一方で「ミス・サラエボ」の心配、そしてラリーとアダムはアルバムの方向性について案じている。わたしは写真撮影用にメークをして、なかなかいいと思った。
「Tokyo Drift」を聞き直してがっかり──自分で自分の声が恥ずかしい。えらくイギリスっぽくて分析的──ラジオ3みたい。

7月13日今朝はボノといっしょに車でスタジオ入り――10:00に。これは、報告によればボノが4:00まで起きて、ビョークとボクシングして踊っていた後だそうな。立派な黒のジョン・ロッシャのスーツ姿で非常にさっぱりした様子だが。車のなかでマーク・コールマンがホテルのことで文句を言っている――大金がらみ。建設業者はもっと金を要求しているそうだ。ボノは、「真剣になる」のが人を殺すのだ、という理論を開陳。気をつけないと、このホテルはかれを確実に「真剣に」させてしまうぞ。
7月13日見終わって、自分がすべてについてまちがっていたと悟り、わくわくした。変な気分だ。自分の気持ちが変わったときに、何度か感じたことがある。理解の一線を越えたときの、独特の感じ。

8月3日「Always Forever Now」のCDの処理。どうもこのアルバム、ちゃんと仕上がっていないような気がしはじめている──特にタイトル曲は、あの高揚させる聖歌のような「ステート・オブ・インディペンデンス」(←ドナ・サマー)になれたかもしれないのに、惜しくも失敗している感じ。

8月8日エッジの誕生日。
「Fleek click」の野心的なバージョンを試してみる。わたし、ハウイー、わたしというサンドイッチ構造──かならずや注目を集めるだろう。

8月9日クリス・ブラックウェルとポール・マクギネスは、レコードが「U2ファンを混乱させる」のでないかと心配している。ふと思うのだが、かれらとしてはこのプロジェクトがおとなしく消え去ってくれたら非常にありがたく思うのではないか。
8月11日それと新しい「Wanderer」(わたしのテープに混じって見つけた古いエディット)もその場で大好評──ボノは次回作の曲として使いたがっている。その手のセッションから見つけた別の発掘曲を演奏──「Zoo Station」のエディットで、シンセサイザーから非常に大きなおならの音がしている。こいつをわれわれは「おしり」と呼んでいる(イタリアのテレビ番組「おしり拝見」にちなんで)。

8月12日「突破口的存在」の意義について語り合う――ディラン、ベルベット・アンダーグランド――そしてボノは、U2のプロジェクトとして何を考えているかを説明。ニカラグアのように、肉体と精神、セックスと信仰を融合させること。これってタントラじゃないの?
空港まで運転中に、ボノはまたもや時速250キロの即死寸前状況から優雅にすり抜けると(レプラコーン的に眉を上げて、目を輝かせ、アイリッシュっぽさを全開にし)こう言った。「おやまあ、わたしが神の使命で動いているのが幸いしましたねえ」2人とも大笑いして死にそう――ほとんど文字通り。

8月13日ボノの新たな作詞方法案:他の連中に、何についての曲を書くべきかアイデアをもらって、その課題に従って書く。

8月27日朝からスタジオ入り、「サラエボ」編集。なんとみごとな歌! エッジとボノがスタジオにやってくる──美しい空間に感嘆──それからみんなで家に帰って(エッジとボノが買い物を運び、わたしは自転車)、昼食(かれらにとっては朝食)ネリー・フーバーの助手ジェーンがやってきた──「最良の形でのイギリス人」とはボノの言。ボノは人と戯れるのが上手で、しかも霊感的。相手からうまく反応を引き出す――かれの対人的な才能だ。(中略)ボノはファン扱いが変わっている。だれかがやってきてサインをせがむと、かれは――緑のボア、オレンジの髪、ギンガムチェックのスーツ姿で――唇に指を当ててこう言う。「シーッ! なるべく目立たないようにしてるんだから」
カーニバル中、ある男が我々の写真を撮り始めた――非常に強引で、わざと注意を引こうとしている感じ。ボノは、最初は親切にしていた――ポーズをとって何枚か写させたりして――でもそいつは一向に切り上げず、いつもどこか数メートルくらい離れたところにいて、望遠レンズをつけて壁の上に立ったり、ランプ柱からぶら下がったりしている。とうとうわたしが、いい加減にしてくれないかと言ったら、そいつは「でも仕事ですから」と言ってやめない。ボノが出てきて、そいつの頭をつかんで両耳に親指をつっこんだ――生まれながらの用心棒的な動きで、そして意味的にはこんなことを言った。「その長い望遠レンズをケツにねじこんで欲しいの?」

9月11日ボノとエッジといっしょにホテルから出がけに、巨大なイタリア人ファンの群衆。ボノはいつもながらすごく親切、わたしは例によって仏頂面になってこう言う。「ファンは嫌いだ。人がこんなふうに自分自身を貶めているのなんか、見たくもない。わたしはファンなんかだったことはない」ボノ曰く、「へえ――まあ、ぼくはずっとファンだったから」