賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

攘夷とは(未完成)

 開港か鎖港か、などという現実的政論は彼(林櫻園)にとって何の問題でもなかった。彼はうたがいもなく開港の必然性を知っていた。西欧文物の受容か拒否か、それも彼には問題ではなかった。すでに見たとおり、彼はよろこんでヨーロッパ産の文物を身辺に用いた人であった。彼を彼の弟子たちの一部に見るような、生理的な戎狄の嫌悪者と思うとまちがう。ある種の国学者のような夜郎自大風の神国意識や、異民族の文明に対する生理的な嫌悪感と彼は縁がなかった。それは彼が若年の日に一切経を二度閲読したことや、初期の原道館に僧侶が通っていたことをもっても知れることである。にもかかわらず、攘夷はかけねなしの彼の悲願だった。彼は自分の抱懐する攘夷論を著作のかたちで書き残すことはなかったが、木村(弦雄)の『(林櫻園)先生伝』に録された片言隻語を仔細に読み解けば、おのずから浮かびあがって来る独特な構図がある。


 木村は櫻園の攘夷論が「無謀過激の論」ではなく、「唯結局の覚悟を戦に究る」意味のものだという。何気ない言葉であるが、これは重要である。木村によれば櫻園はある日会読の席上、問う者に次のように答えたという。「今日攘夷を実行せんと欲せば、各国中の一国に就て、間隙を生じた時、彼が恐嚇するに恐れず、直立直行して、遂に戦端を開くに至るべし、兵は怒なり、如此は全国民の怒熾にして、以て一戦するに堪えん、我国昇平久しく、軍備廃頽し、且軍器の利鈍、彼我等比に非ず、戦はば敗を取るは必せり、然れども上下心力を一にして、百敗挫けず、防禦の術を尽さば、国を挙て彼に取らるるが如きは、決して無之の事なり。彼皆海路遼遠、地理に熟せざるの客兵なり、且何を以て巨大の軍費を支へん、遠からずして、彼より和を講ずるは、明々白々の勢なり、幸にして、一度彼が兵鋒を頓挫するを得ば、我が国威は、雷霆の如く欧州に奮ふべし、果して然らば、国を開くも鎖すも、我望むが儘なるべし

これは思想的に見ても軍事的に見ても、幕末にのべられた攘夷論中、第一等のものである。

渡辺京二「神風連とその時代」より
 
(未完成)