賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「近代ジャーナリスト列伝」(三好徹)上下巻(後半)

この記事の続きです。まさかこんなに間が空くとは…すまんですばい。ちなみに最近は中江丑吉という人(中江兆民の息子さん)に関心を持ってます。橋川文三がえらく高く評価してましたので。
たとえば「現代知識人の条件」の中では、こんな感じで語ってます。

 彼(中江丑吉)は、たとえば華北占領地区の通貨問題に関して、某京大教授がある疑問を提出したのに対して「何てトンマだ。『資本論』のはじめにチャンと書いてあるじゃないか。あれで完全だ」とこともなげに言ってのけるような人物であった。というのは、中江の古典研究の態度が、通常の学者的・インテリ的なそれと全くことなっていたことを示している。たとえば彼が若い友人とカントを読むとする。一段落ついたところで、中江は次のように相手に質問したという。
「そこのところを誰にでもわかるように言ってみろ。」
一口に易しくいえないようでは無条件に零点だ。お前の勉強は学生の勉強で、大学の試験にはパスするかもしれないがおとなの世界には通用しない。学問をしている人間が、優秀な役人に馬鹿にされるのは、そういう頭の奴が多いからだ。優秀な官吏や実業家の頭をもたないで学問をしようなどとはてんで笑わせる、云々」(中江会『兆民を継ぐもの』) 

わあ、カッコイイ!

学問をこういう風にとらえている人って確かにそう多くないでしょうねえ。
と、それはともかくとして早速前回の続きでございますが(主に下巻)、三国志絡みでちょっと面白い話が書いてあったので、まずはそこから。

 (幸徳)秋水は、師の中江兆民から、その死の一か月前に、色紙をもらい、刑死するまでそれを大切にした。その色紙の文章は、

文章経国大業不朽盛事

である。(中略)この色紙は、かなり有名で秋水関係の書に口絵写真が紹介されている。筆者は、兆民自身の言葉と思い、またそう解釈するのが一般的らしいが、つい先ごろ、「中国古典名言辞典」(諸橋轍次)に目を通しているとき、出典のあることを偶然に知った。正確には

文章経国之大業不朽之盛事(文章は経国の大業にして不朽の盛事なり)

で、魏の曹丕の文章を集めた「典論」の中の一節である。(下巻14p)

三国志ファン的には、この言葉は曹丕について語られる時、もしくは曹一族の詩才を語る上で枕詞のように紹介されてますので、まず常識といってよい類なのですが、それがこの本が出される時期は、まったく一般的でなかったことにいささか驚愕いたしました。
ちなみに三好徹さんは三国志の小説を書いてはります。さらにちなみにワタシは未読です、面目次第もござらんっ。

さて、曹操って昔は本当に人気なかったんだなあということで本題に入らせていただきますが、大逆事件以降は、言論を抑圧する軍部に対する気骨あるジャーナリストの壮絶な孤軍奮闘といった面持ちになってゆきます。
なかでも、福岡日日の主筆だった菊竹六鼓という人の五・一五事件への報道は鬼気迫るものがありました。

 国民の進むべき政治的進路は、坦々としてなお国民の眼前に展開されている。それは立憲代議政体である。明治大帝が、不磨の大典として、吾々国民に遺したまえる帝国憲法の規定する政治様式そのものである。何人と雖も、今日の議会、今日の政治、今日の選挙、今日の政治家に満足するものはいない。そこに多くの腐敗があり、欠陥があり、不備不足があることは事実である。にも拘わらず、故に吾々は、直ちに独裁政治に還えらねばならぬという理由はない。ファッショ運動に訴えねばならぬという理由はない。ファッショ運動が日本を救うべし、と信じ得べき何等の根拠もない。

 菊竹は、少壮軍人らの唱えるファッショ体制を否定し、暗に、(五・一五)事件の責任は軍部それ自身にある、と言ったのだ。(下巻372p)

ヤベーっす。

と、読んでてこれ絶対やべーぞとハラハラしてしまったのですが、この記事を載せたら軍部が潰しにくるかもしれないと、福岡日日の社長である永江直郷に相談してみたところ

永江は太っ肝な人物だった。
「そういうことになったら、長い間この新聞を育ててきた先輩やきみ(菊竹)には、むしろ気の毒あるが、正しい主張のために、わが社にもしものことがあったとしても、それは、社長たるわたしにとっては光栄というものだ」
と永江は言った。思う存分に書け、と菊竹をはげましたのである。(下巻373p)

会社が潰れても私は一向に構わんッッ(烈海王っぽく)

しゃ、社長~! と平社員はビックリするかもしれませんが、これが漢の道だぜよ。
案の定、軍部が謝罪するように圧力をかけてきたのですが、その時の菊竹の心情は、


菊竹はこの日、友人の中原繁登に手紙を書いた。 
 小生はこんどこそは決心、報国の覚悟なり。毎日々々書きあげてはホッと安神(ママ)のような、不安神のような、翌日それを読んでは案をねってみたり、自分の卑怯を嗤ってみたり、しかし、大体において、僕は言わんとすることを言った。今日一日だけを追撃すれば、それでよいと思っている。
 小生はすでに五十三。三十まで生きぬと言われた不具のからだ。死生必ずしも問題にあらず。ただ小生は、事実において非常に卑怯なる故に、実はビクビクであることは間ちがいない。


 この書信にみられる菊竹は、人間なら誰しも持っている弱さをありのままにさらけ出している。軍人たちの居丈高なおどしが、彼にとっても決してこわくないわけではなかったのだ。
 彼は確かに恐怖を感じていた。しかし、決して屈しようとしなかった。真の勇気が備わっていたのだ。(下巻377p)

合言葉は、勇気

こんなん惚れるわあ~。
そしていよいよ軍部も口で脅すだけでなくガチで軍事力を行使してきましたよ。

 二十日の午後、福岡日日の社屋の上に、急降下爆撃機の編隊が飛来した。
 その前に、名前も告げずに、
「あくまでも謝罪しないならば、爆撃するぞ」
という電話があった。
社員たちが屋上や道路に出てみると、編隊をといた飛行機は、一機また一機と、社屋めがけて急降下を開始した。
 その凄まじい爆音が、社員たちの耳膜に鳴り響いた。市民たちも何事かと驚いて足をとめた。
再び電話がかかってきた。
「いまのは練習だ。降伏しないならば、本当に爆弾を投下する。どうだ、降伏するか」(下巻378p)

武装してない丸腰の人間相手になにやってんだよ、卑怯くせえ~。
国民の税金をこんなたわけたことに遣われてはたまったものではないのですが、この威圧に菊竹がどう答えたかと言いますと、

 菊竹は、翌日の社説で、この脅迫に応えた。「憲政の価値」と題した文章である、

 ファッショとは何か。種々の解説、解釈があるにしても、その究極する所は、要するに独裁の政治、抑圧の政治、強力の政治であると云うに帰する。その反面を云えば、人民自由の否定であり、寛容なる精神の破壊である。種々の言辞や説明をもって粉飾するにしても、正体は分明、ファッショ政治の真髄は、断じてこの範囲を出るものではない。これ豈我国の社会を挙げて、憲法発布以前の状態に引戻さんとするの企てではないか、官僚専制、閥族専制、さらに遡っては封建抑圧の政治に逆転せしむることを意味するのではないか。今の政党政治に愛憎(ママ)をつかしたことの一点から、反動的に一も二もなくファッショなるものに、万一の期待をかけようとする者があるならば、それはこの上もなき無思慮無分別な、政治常識を欠如したものと云わねばならぬ。真に国家の隆昌と人民の幸福を念とする者の再思三省を要する所である。(下巻379p)

一歩も引く気はねーぜ。

ここまで読んできて正直ちょっと泣きそうになってしまったのですけど、どうしてここまで戦えるのかと、ただただ息を呑むばかりです。
その後、今度は不買運動を起こして兵糧攻めを試みるのですが、販売担当の役員がこの不買運動に苦しんで、菊竹にこう訴えます。

「販売店からも苦情がきているのです。少しはお手柔らかに願えませんか。このままでは、会社がつぶれてしまいます」
 菊竹は、きっとなっていった。
「バカなことをいってはいかん。会社がつぶれるかどうかの問題ではないんだ。日本という国がつぶれるかどうかの問題なのだ。」(下巻380p)

愛国心という言葉は現在すこぶる評判が悪いのですが、国を愛するという気持ちをもう一度丹念に掘り返してみないとなあと痛感する次第。

その後の日本は桐生悠々のいう畜生道へと堕落していったのですが、しかし今の日本もまた畜生道へと堕落していってやしないか、いやもう堕落してるんじゃね?と思い返してみるのも一興な8月でした。長々とお付き合いありがとうございました。