賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「呪の思想」(白川静X梅原猛)

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白川静氏と梅原猛氏の対談本。梅原猛さんの本は以前から読んでたんですが白川静さんは全然読んだことがなくって、今回この本を読んでみて、え?もしかして凄くエラい人?とのけ反った次第。

梅原 「才」(サイ)というのは、ホコと考えてよろしいですか。
白川 そうです…ただなかなか難解です。「才」の元の字は[〇(←書けへん)]。木を立てまして、この木を立てるというのは柱を立てるとか、或いは「柴刺し」をするとか、神を呼ぶ方法ですから、大変意味が深い訳ですが、この縦横の木の結び目にね、祝詞を入れた器つまり[サイ]をくっ付けるのです。ここは神聖な場所であるぞ、この空間は神聖な場所であるぞ、という風にね。これが[〇]という字のいちばんの元の形です。それがだんだんふくらみをなくして[〇(←書けへん)]となる訳です。現在の「才」です。ここに土まんじゅうを置くと、「存在」の「在」になるんです。ここに人が住めば、「存」になる。「存在」というのは、神聖化された土地と人、という意味。単にある、というのではなくてね。神によって「祝福されたるもの」、「清められたるもの」というような意味です。(49p)

うおおお、「存在」にそんな意味があるなんて~!
「存在」とは神に祝福されてるんですよ、鳥肌モンですわ。
漢字って面白いなあ。こんな面白い話がじゃんじゃんあるんですけど、一番惹かれたのは孔子に関するものでした。

白川 孔子は甚だしいことをなさず、とにかく並み外れたということはやらんというね、いつでも非常に素直な人であったのではないかと思いますね。
梅原 一方で孔子は狂狷の徒であったといわれてますが
白川 そうそう、それはね、政治とか社会とかの、そういう風なものの矛盾面を見ておるから、悪の面を見ておるからね。こういうものを直すのには、やはり一種の革命者ですね、彼自身は。
梅原 狂狷ですね。
白川 だけど人間的には非常に優しい人であったと僕は思う。(p165)

なんでこんな、孔子が褒められてると嬉しくなるんだろう?

中島敦の「弟子」という作品を読んで孔子に興味を持つようになったのですが、孔子という人はとてもいい人なんじゃないかと、それはどうしても思ってしまいます。「聖人と 人はいへども 聖人の たぐひならめや 孔子はよき人」(by本居宣長)ですよ!

論語」はそれはもう色んなところから出ておりますが、ワタシは角川文庫の「ポケット論語」(山田勝美)で読んでおりました。

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多分もう書店には置かれてないです(笑)。この本には各節に内容に即した和歌が付けられておりまして、それがなかなかいい味を出してるんですよ。
たとえばこんな感じ。↓

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よしあしをかたよらず見る知者こそは 真の仁者といふべかりけれ子曰く、ただ仁者のみよく人を好し、よく人を悪む

どうです? いいでしょう?
こんな風にいいなあって思った箇所に付箋を付けて後でコンパクトにまとめてみようって思ってたこともあるんですが(そういう作業好きです)…

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付箋の意味ねー!

後半は意地になって付箋を貼り続けてました(笑)。いいことばっかり書いてある本、それが論語です(笑)

と、それはさておき、たくさん面白い話を聞かせてもらえて良かったなあという読後感でございましたが、白川静さんの中国史で一番好きな人物は蘇東坡とのこと(86p)
この人物も全然知らないなあ。この人が好きだというのならきっとなにかあるのだろう、この人の作品も目を通してみるかー。