賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「日本浪漫派批判序説」(橋川文三)


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以前に感想を書いた浅羽通明の本の中で紹介されていた「ナショナリズム」も面白かったのですが、ワタシは並行して読んでいたこちらの作品の方に注目してしまいました。

何故かと言うと小林秀雄のことがいっぱい書いてあったから。うわあ安直ー。
補論1では、丸々「私小説」について語られております。

「社会化された自我」というのは、周知のように、小林秀雄の『私小説論』(昭和10年)に登場する理念であり、ほとんど「神話」のように語りつがれ、論じつがれたものといわれる。(116p)

へえ~、そうだったんだ。全然知らなかった。そんな大したもんだったんだなあ。ワタシは「Xへの手紙」には頭をガアンとやられましたが「私小説」はそんなでもなかったっす。
大体ワタシは小林秀雄エッセイストのような心地で読んでまして、この人は破格と言って良いんじゃないかってくらい秀逸なユーモリストなんですよね。実に面白い。小林秀雄の本を読んで何度抱腹絶倒したか分からないですよ。あんまりそういうことを指摘する人がいないので不肖ワタクシめが断言しますが、小林秀雄の本はめっちゃ笑えます

そういう面での小林秀雄しか知らないワタシとしては、こういう本は大変ためになりました。やっぱり小林秀雄って当時の人達に絶大な影響力があったんだなあ。さすが人生の教祖だぜ。

ナショナリズム」の解説は渡辺京二さんだったのですが、この人は対照的に小林秀雄についてほとんど語ってないんですよね。自分が読んだ限りですと1箇所くらいだったかなあ、小林秀雄に言及してたのは。世代の差というものかもしれません。

実は橋川文三さんは私がひと方ならずお世話になったお人で、私がしがない物書きになったのも橋川さんと吉本隆明さんに学んでのことなのである。仕方のないことだが、本文中「橋川」と呼び棄てにして私の心は痛んだ。橋川さんは六一歳で亡くなられた。今にすると若死にである。私自身老残の身ながら、死ぬまでにいつかはちゃんとこの人のことを書いておきたい。(「ナショナリズム」解説p254)

ほえー橋川文三って渡辺京二のお師匠さん筋に当たる人だったのか。道理でなんか文章になんとなく馴染みがあると思ったよ。
それはともかく渡辺京二による橋川文三論も読んでみたいところですが、まずは橋川文三作品もちゃんと読んでおかないといけません。この人の著作も渡辺京二と同じくらい面白いですね。