賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

今さらながらの「咲」第123局感想(ネタバレ有り有りで)

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岩舘揺杏、許すまじ・・・

と冗談はともかく(ちなみに上の画像はコラです、上埜だけに)、最新話の「咲」には非常に心を動かされ、それは今も変わらないので、いっそ動揺するままに感想を書いてみようかと。あ、今のシフトは水木が休日なんですよ~。

んで、なにに心を揺すぶられたかと申しますと、福路美穂子さんの「久!」の呼び掛けに驚いたのですよ。これはやくよじのさんがサイトで指摘されていたのですが、美穂子さんと久さんが会話を交わしたシーンってば、あのお弁当を渡すシーンが初だったのですね。俺も腰を抜かしました(笑)

つまり、11巻の終わりまで、2人の距離感は読者にずっと明示されていなかったとも言えるわけでして、美穂子さんはともかく(え?)、久さんは美穂子さんのことをどう思っているのか、読者はもやもやと妄想するしかなかったのですよ。

そのモヤモヤが、今回のお話で一気に解消されたワケでして、そりゃもう街中大騒ぎさ! なんでしょうかしら、「ベイビーステップ」(勝木光)で、なっちゃんがエーちゃんに告白した回を読んだ時以来のときめきMAXな感情ですよ。


少女よ 少女よ
ぼくはきみを愛している
おお きみの目はかがやく
きみはぼくを愛している
ゲーテ「五月のうた」より(井上正蔵:訳))


などとゲーテの恋愛詩を引用したくなるくらいの衝撃だったのですが、美穂子さんと久さんは表面上はまるで違いますが、内面は良く似た者同士なんですね。


それ仁者は、己(おのれ)立たんと欲して
而して人を立て、己達せんと欲して
而して人を達す。能く近く譬(たとえ)を取る。
仁の方(みち)というべきのみ

論語 雍也第六」

現代訳こちらのサイトから引用させていただきました)
仁者というのは、自らが立ちたいと思えば他人を先に立たせ、自らが行きたいと思えば他人を先に行かせる。常に他者を自分の様に考える。それが仁者の考え方というものだ。


美穂子さんを見てますと、「君子というのはこういう人のコトなんだろうなあ」と、尊敬おくあたわざる人物なのですが、どうしたことか、中学の頃から同級生の仲良しが出来なくなってしまっているのですね。

久さんも周囲にはフレンドリーな態度を取りつつも、ギリギリのところで他人を拒否してるところがあります。最新話では前半戦終了後、他の3人は仲間が待っている控え室へと戻っていきますが、久さんはただ一人対局室に残っている。ここにある種の孤独を感じます。

ああ、そういえば穏乃さんもそうでしたね。恐らくは作者さんの性格が色濃く投影されているのではないかと推察されます。その究極形態が衣さんであることは間違いないでしょう。

さて、回想シーンでは踵を履き潰してる中学時代の久さんが描かれてましたが、明らかにガラが悪い(笑)。ダイナミックツモとかワハハさんに対する暴言とか(「人間は一番弱いところに来るのよねえ」)、決してお行儀が良いとは言えない彼女が何故、学生議会長にまで登りおおせたのか。野心? 裏返しのコンプレックス? どこか違う気がする。

それは決して褒められたものではない、なにか胸の奥底に隠された「決意」があるのではないかと思うのですが、そんな野心家の部長兼学生議会長と、名門校のキャプテンという、それぞれ人々を指導する立場にありながらも、どうしようもなく孤独の影を引きずっている2人が、下の名前で呼び合う関係になっていたということに、なにやら非常な歓喜の念を覚えた次第ですよ。うん、こうして言葉にすると、どうしようもなく嘘臭くなるな(笑)。本当なんですってば!

今回の123局は、ブルーレイの特典漫画やらなにやらで、相当キツいスケジュールの元に制作された、悪く言うと「場つなぎ回」にあたるのではないかと思いますが、そんな回でこんなにも感動していいのだろうかと、なにやらバツが悪くなってしまったので、ええい、支離滅裂上等とばかりに勢いで書いちめえやした。単行本では美穂子さんの瞳も修正されるそうですし、きっともっと感動することでしょう。
ああ、「咲」を読んでて良かった!