賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

道徳の教材にスレイヤーを取り上げるのはどうだろうか

 
 

現在、道徳を教科化しようとする動きがあるようですが、その教材としてスレイヤーを取り上げてみてはいかがであろうか(提案)。

たとえば、クソみたいな同級生がいたとして、そいつらにイジメに遭ったとしたらどうするか。「スレイヤーを聴きたまえ」。これである。
たとえば、クソみたいな教師がいたとして、そいつがひどい体罰に及んだとする。その場合どうするか。「スレイヤーを聴きたまえ」。これである。
道徳とはなにか? それは自分が自分らしくあるということである。

私の原則は次のごとくであって私はこの信念を固くとる者である。すなわちいかなる神霊も、またねたみ屋以外のいかなる人間も、私の無力や苦悩を喜びはしないし、また涙、すすり泣き、恐れ、その他心の無力のしるしであるこの種の事柄をわれわれの徳に数えはしない。(スピノザ「エチカ」より)

自分を抑圧する全てのものに「クソ喰らえ」と中指をおっ立てるのが道徳であり、スレイヤーというバンドは頭のてっぺんからつま先までクソ喰らえと叫び続けている。なんて道徳的なんだ。

スレイヤーを聴くことによって、「クソ喰らえ」と言える勇気をもらった人は数多く存在することかと思う。ありがとう、スレイヤー。本当にありがとう、ジェフ・ハンネマン