永遠の相の下に
哲学者と呼ばれる人たちは、大抵はヘンな人である。
この前、中島義道という人の本をたまたま読んでみたのだが、見事に変人であった。ヘンな人はキライではないので、これから色々読んでみるつもりだ。
この前、中島義道という人の本をたまたま読んでみたのだが、見事に変人であった。ヘンな人はキライではないので、これから色々読んでみるつもりだ。
スピノザという人の伝記などを読んでみると、これまた変人であった。
なぜに変人と呼ばれる人は、こうもヘンなのだろうか?
なぜに変人と呼ばれる人は、こうもヘンなのだろうか?
それは、その人の言ってるコトとやってるコトが一致しているからだ。変人と呼ばれる人たちは皆、呆れるほど言行が一致している。
しからば、なぜ僕たち凡人は、言行が一致しないのだろうか。それは思うに、僕たちに決断力が乏しいからだ。それではなぜ凡人は決断できないのか。信じるものが乏しいからだ。
断じて行えば鬼神もこれを避く、という。凡人にもっとも困難な点はこれだ。
凡人は善人ではない。凡人とは、善も悪も為せない人だ。
凡人は善人ではない。凡人とは、善も悪も為せない人だ。
知性改善論の冒頭の1節、「私はついに決心した」という言葉は、凡人の僕には眩しすぎる言葉だ。この決心を見習ってゆきたいものだ。
「ultimi barbarorum(野蛮の極致)」と記した弾劾文を、スピノザは街頭に貼ろうとしたらしい。
野蛮の極致、それは狂気の行いだ。20世紀は野蛮の極致に満ちていた。21世紀は、この野蛮さから逃れられるだろうか?
野蛮の極致、それは狂気の行いだ。20世紀は野蛮の極致に満ちていた。21世紀は、この野蛮さから逃れられるだろうか?
「21世紀は心のエコロジーが求められている」と言っていたのは中沢新一だったか。どうもエチカという本は、この「心のエコロジー」をやろうとしているように思える。心に巣食う「野蛮(barbarorum)」をエコしていくこと。
とても大事なことが書いてあるように思えるのだけれども、やたら読むのが大変なこの「エチカ」、ああもう、何回でもチャレンジしてやるよっ。