賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

続々・ヤマトダマシイとはなんぞや?

イメージ 1

画像は特に意味はありません。

そしてこの人は特にヘンタイというワケではありません、いやヘンタイなのかな? ビックリしたなあ、もう。
それはともかく、だらだらとこの記事を続けてしまってますが、そもそも、ヴォルグ・ザンギエフが唐突に「ヤマトダマシイ」とか言い出すからいけない。あなた、ロシア人でしょうに。
なにをもってヴォルグがヤマトダマシイと言ったのか。その行動を鑑みて、それは「はじめの一歩」ではお馴染みの「勇気」と形容してなんら問題はないと思うのですが、作者は今回その言葉を使わず、またえらく古風な言葉を用いたのは、それはやはり東日本大震災があったからではないかと思います。

国難が起こるとナショナリズムが高まる」と中野剛志さんが本に書いてありましたが、それはまあ当然の自然現象というべきもので、健康な時には気にも留めなかったことが、病気の時ははっきりと認識するようになる。病者の光学というヤツですね! ナショナリズムを病的と言ってるワケじゃないですよ。

森川ジョージさんは震災漫画を描いたりするなど、今回の震災に対してかなり積極的に行動していたので、それが「はじめの一歩」にも反映されたのではないかと。しかも、それが日本人である主人公でなく、脇役のロシア人に反映させていたからこそインパクトがあったのだなあと。ソ連崩壊→日本で二連敗→アメリカで審判の不正と、不運(ハードラック)と踊(ダンス)しまくりのヴォルグだからこそ似つかわしいかもしれませんね。

大和魂という言葉には色々な意味がありますが、勇ましい方の意味は最近のものであって、もっと昔の源氏物語の頃の用法が自分には好みです。ヘタレな方の大和魂(笑)
「大きな和の魂」と砕いてみると、「和」という言葉がメインになってるなということが分かりますが、和といいいますと、十七条憲法の「和をもって貴しと為す」を思いおこします。

十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。

素晴らしい。耳が痛いですね。鳩山由紀夫さんだって、なにか深い考えがあってのことかもしれないじゃなイカそれはどうかなー
なんでも憲法改正とか、世間では言われてるようですが、どうせ改正するなら明治憲法と言わず、この十七条憲法まで遡って改正してもらいたいものです。

去年の11月に、品切れ状態だったスピノザの「国家論」が重版されましたので読んでみたのですが、なんかよく分からん文章形式の「エチカ」やら、ユダヤ教の知識がてんでない自分にはチンプンカンプン気味の「神学政治論」よりは全然読みやすかったです。

この論文の中では、およそ君主国家たると貴族国家たるとを問わず、国家が圧制政治に陥らぬようにし、かつ国民の平和と自由とが侵されることなく保持されるようにするにはいかに組織されなければならぬかということが示される。

と序文に書いてありますが、そりゃあ面白いさ、切実に!
始めの第1章(「序論」)ではスピノザの人間理解が簡略に記されており、「エチカ」のおさらいとしても楽しめますね。
一番気になったのは第6章に出てきた「familia」という言葉。「家族」ではなく、相当な数の共同体を意味するようですが、スピノザはなにをイメージしてたんでしょうか。

国家と国民の間にある共同体や社会集団のことを「中間組織」と呼ぶそうですが(@「国力とは何か」中野剛志)、ここが健全に機能していないと民主主義が成り立たないというのは容易に推察できます。国家と国民がストレートに結び付くと、それは全体主義になってしまう。
ウヨク的な立場に立つ人の最大の弱点はここなんじゃないかなと、個人的に考えてます。この分野ではサヨクの方々の方が先を進んでいるなあと(生協とか)。
そうすると、ええ面倒くせえとばかりに天皇をもって国民統合の手段としてしまおうとする考え方もありますが、それは全体主義ですよねえ。オーノーであります。それはあまりに短絡過ぎる。

間組織の充実、というのもヘンな言い方なのですが、ここが日本の民主主義のアキレス腱なんじゃないかと。この点に関してはウヨクの人もサヨクの人も、ともに協力し合って充実していけたら良いのになあと思います。日本の為に。分かりにくい言い方でスミマセン。単純に知識不足です。

それはさておき、スピノザという人はとことん首尾一貫してると言いますか、哲学も宗教も国家もどの分野でも、いささかもブレませんね。論語の「吾が道は一を以って之を貫く」というのは、こういうのを言うんだなと。ウソがないというのは気持ちの良いものであります。

これを大和魂的に表現すると、「清明心」ということになるのではないでしょうか。まあそんな事々しい名称を持ち出すのもアレなのですが、普通に「正直」という言葉でも良いのかな。「正直の頭に神宿る」という意味での正直ですね。

日本には古くから、「ありのまま」、「まことの心」を尊ぶ心持ちがあり、それはとても良いことだと思います。せっかくそういう宝物があるのだから、歴史なりなんなりで学んでいきたいものであります。

大月隆寛さんの本だったかな、「政治を語るには歴史というタテ糸と経済というヨコ糸が大事」と書いてあって、至極もっともだと思いつつも、ようやく今頃になって経済関係の本を少々読んでおるのですが、まあなんですな、さっぱりワカランチンであります。みんな凄いな。

今は、「さっさと不況を終わらせろ」という本を読んでいるんですが、難しくて腹が立つワケですよ。wikipediaを見ると、この本の著者ポール・クルーグマンという人は、「非常に簡単な仮定をおいたシンプルなモデルを作ることを得意としており、彼の業績は、非常にシンプルなモデルに基づく経済学的考察の上に築かれている」そうで、その人が一般人にも分かりやすく書いた本なのですから、分かりにくい要素など何一つとしてないワケですが、それはすなわち、分からないのは単純に自分の頭が悪いからという、それだけの理由であるのが明々白々に分かるところが腹立たしい笑)

そんなこんなで、こういう本を四苦八苦して読んでいると、マンガの感想とかてんで書けなくなってしまう自分が情けない。りむらさんはエラかった。自分にはとてもあんな真似はできません。惜しい人を亡くしました。

昔、「皇国の守護者」にハマってた折、こんな記事を書いていたのですが、改めて引用させてもらうと、
つきつめるならば、その原因は(史上のすべての国家間戦争、革命と同様に)金の恨みにすぎないのであるから、まさに必然と言って良い。貧乏を経験した常人であれば、その本質を体感的に理解できる。政治、道徳、思想、宗教上の理由など、すべて、人が命を捨てやすくするための方便に過ぎない。
つまるところ、戦争とは異なる手段をもってする経済活動に他ならない。(1巻179p)

戦争とは異なる手段をもってする経済活動」だということは、個人的に正しいと思います。経済を知らないで戦争を語るのは無謀だ。今まで歴史はともかく、経済についてはずっと蔑ろにしてきた自分としては赤面する他ないのですが、歴史マンガというのはたくさんあるのに、経済マンガというのは実に少ない。うむ、これだな、問題は(そうか?)。

難しいと思いますがエンターティンメントしてる経済マンガが出現してくれれば非常に助かるんだけどなあ。需要はあると思うんで、モーニングとかで出て来てくれないかしら。そういえば「天才柳沢教授の生活」の主人公、柳沢教授は確か経済学の教授じゃなかったでしたっけ。そうだ、山下和美さんに描いてもらおう(無茶言うな)。

とこんなところで、とりとめもなくこの記事はオシマイ。なんか色々と個人的に勉強になったんですけど、多分読んだ人はまったくタメになりません(笑)。長々と失礼いたしました。