賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

HTDAABノート

  Love and Peace or Else

日本という国にあって、反戦歌を聴くのは、僕にとっては苦行であります。
なんとなれば、日本は戦争を放棄しちゃってるから、戦争したくても出来ない国で、
僕達は、とっくの昔に、「れい・だ~~うん!」しちゃってるワケですよ。


4年間にわたって戦争してきたアメリカに豪快に負けて、「もう戦争しなくてええよ~」
と諭されるや、その殺し合ってきたアメリカさんの庇護のもと、めいっぱい平和を享受
してきた僕達は、はたから見て、確かに相当みっともないけど、このみっともなさから、
僕達の時代が形成されたワケで、そこから目を反らして、国の誇りだー、憲法改正だー、
とかゆっても、どもならんと思うんすわー。

 

そういう次第で、僕は、すごく恥かしい気持ちで、Bullet The Blue Skyとか、
Love and Peace or Elseを聴くことになるのです。あ、Bloody Sundayは、僕に
とって反戦歌じゃありません、それ以上のものです。


ということで、Bullet The Blue Skyの正統後継者たるLove and Peace or Elseですが、その前に
Bullet The Blue Skyは、なぜいつもツアーで演奏されるのか?」という問題に関して少々。

 

その解答は、「U2だから」。これでしょう!
rismさんが、こちらの記事で、
偉そうな事言っても、結局 ブームで終わらせてはいけなかった と思うんですよね
と、仰ってましたが、完全に同意であります。まあ僕も参加すらしてなかったワケですがー。(・m・ )クスッ

 

そういうワケでして、ZOO-TVツアーでも、POPMARTツアーでも、断固としてU2はBullet The Blue Sky
を演奏する、U2ですから。Bloody Sundayは演奏しなくても、Bullet The Blue Skyは演奏し続けるのです。
「もー飽きたよー」とか言われても、なんのそのなのです。そういう問題ではないのです。くっそー。


Love and Peace or Elseは、無気味な曲だ。
こんな無気味な曲は、かつてU2は作ったことがないのではないか。
かろうじて、Passengersに収められたElvis Ate Americaが、それに匹敵するかもしれない。

 

Bullet The Blue Skyが、暴力の官能性を表現したものだとすれば、Love and Peace or Elseは、
暴力のグロテスクさを表現しているように、僕には思える。

 

いや、暴力じゃないのかも。なんだろう? 「醜い現実」? ちょっと違う。
ボノさんは、アメリカでのロビー活動について、「カフカの小説の世界みたいだった」と、
形容した事があるが、そういう「不条理」な感覚が盛り込まれているのかもしれない。

 

来日公演で、この曲をもっと理解できたらいいな。顔をまっかにしながらね!