賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

移行先は決まりましたか?

ワタシは移行完了しました。

と言っても3月にサービス終了したジオシティーズの記事をこっちに移行しただけなんですけれどもれども! ↓
  
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ジオシティーズからヤフーブログへ移行して、さらに別ブログへ移行するとか二度手間かける俺カッコイイ。既存の記事がすっかり後ろに行っちゃったよ。
 
移行先としてワタシは「はてなブログ」を予定してるのですが、移行開始できる7月まではこのブログでボチボチ更新していこうかなと。
 
移行する前に2度にわたって挫折した「江戸の兵学思想」の感想はなんとかやり遂げたいとは思ってるのですが、どうにも難渋しておりますです。
 
原因はいたって簡でして、吉田松陰という兵学者が問題なのです。「王道と革命の間」でもキーとなってた人ですが、この人を語るのがひどく難しい。

2年くらい前から橋川文三さんの作品を読むようになり、これを奇貨として長らく避けていた「戦前の日本」と向かい合おうと決意していたのですが…難しい。難しいと言いますか、率直に言って怖いです(笑)

そういう一連の困難さは吉田松陰という人が源泉になってる…と直感したのですが、うかつに切り込もうものならこっちが斬られてしまいそうで剣呑であります。

単純に切り口を間違えちゃったかな~とか反省していますので、ここは一旦退却して別の切り口から攻めていこうと戦術を練り直してます。

かように吉田松陰という人となんか近づけそうかなあと思ってしまったのは、河上徹太郎の「吉田松陰という本の中の一節に惹かれたという、その一点のみでした。無謀じゃ。

それにしても今日では、君臣の義などというと、天皇制が明治時代に名目論的に擬制化され、それが戦争で絶対的強権を背負い、更に戦後その全面的な否定を見たことは、今日まだ生々しい思想界の渦巻きをなしていて、それにこだわりなしに発言できないのが面倒である。ただ確かなことは、黙霖も松陰も、こんな天皇論議と関係ないことである。彼等は、何ものかに強要されたのではなく、天皇を自分の初心で発見しているのである。この一点で二人は純潔に結びつき合っている。だから御望みなら天皇の代りに「神」とでも「デモクラシー」とでも「自由」とでも「民族の心」とでも、置き換えて一向構わない。それで彼等の言い分も私の趣旨も、論理的にはそのまま通じる。
(僧黙霖との出会い(一)より)
天皇をデモクラシーと置き換えて一向構わないって、また太いことを言う。これにはシビれました。そういうことなら分かる、分かるぞ俺!
 
吉田松陰の時代には、いわゆる天皇制などというものは存在しなかった訳で、そういう初心の中の天皇像というものが自分にもつかめたらなあと、まあそこで難渋してるんですけどね。面倒ですなあ。
 
平成から令和の時代になり、自分もそれなりに色々と思うことはあるのですが、まずは「昭和」をなんとかしたいって思ってるんですが、これがねえ。
 
本当に今更ですが「歴史」というものの困難さを実感しております。
つまり平成を知るには昭和を知らなければならないし、昭和を知るには大正を知らなければならない。そして大正を知るには明治を知らなければならない。
キリがないのであります。
 
歴史を愛するというのはその国を丸ごと全部愛さないといけない。それはやっぱり大器量というものが必要であって、自分は匹夫であることを今しみじみと感じる次第であります。
 
歴史の面白さと困難さと愛しさを同時に味わう賽の目でした。終わり