賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「近代ジャーナリスト列伝」(三好徹)上下巻(前半)

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最初の社会部記者岸田吟香をはじめ、成島柳北末広鉄腸中江兆民、池辺三山ら、時の権力に昂然と対峙し、時代の真の旗手として日本の近代化を担った明治言論人たちの気骨の生涯を描く力作。(アマゾンの作品紹介より)

昭和61年に出された本ですので、もちろん書店には置いてありませんが、作者が新聞記者出身だけあって、相当気合を入れて書いたんだろうなあと思わせる作品で、こちらも読んでで力こぶが入りましたよ。
作中に、ちょこちょことジャーナリズムに対する作者自身の思いを経験談を交えて差し挟まれており、それもまたよろしき哉。

明治時代のジャーナリストが多数登場しますが、前半はやはり中江兆民の存在が際立ちますね。いや実に変な人だなあって(笑)。頭山満と親友なだけのことはありますわい。

 熊本の民権家で、のちに西南戦争薩軍に加わって戦死した宮崎八郎が兆民の門を叩いたのはこのころで、宮崎が仏学塾をたずね、応対に出た書生に、
「中江先生にお取次ぎを願いたい」
というと書生は、
「中江君に用かね」
といった。宮崎はびっくりしたが、仏学塾は、徹底した平等主義を実践していた。要するに、師も弟子も共に学問をきわめようとすることでは同じだというのである。(上巻178p)

いいねえ、デモクラシーだねえ。

それにしても、宮崎八郎という人の名前は色んな本のところでちょくちょく出てきて気になって仕方がない。長生きしていれば伝記のひとつも出てたであろうに早くに亡くなってしまったのが惜しまれますね。

 彼(中江兆民)は仏学塾でこの書物(ルソーの民約論)を教科書として使用していたから、不完全ながら和訳はできていた。その草稿を読んだらしい宮崎八郎が「民約論ヲ読ム」という漢詩を作っている。宮崎はよほど感動したと見えて、その詩の最後は、
――泣イテ読ム廬騒(ルソー)ノ民約論
というものだった。(上巻181p)

その漢詩読みてー。この頃の人たちはみんな和歌なり漢詩なり書いてますね。

兆民が亡くなった後は幸徳秋水周辺の動きが気になってきますが、堺利彦という人はなかなか立派な人だったようですね。
秋水と堺利彦(̠枯川)が平民新聞を発行しようとした折りの話は心に沁みました。

 発行所は有楽町の日本劇場の裏のあたりで、二階家を借りた。一階に秋水一家が住み、二階を事務所にあてた。編集発行人は枯川がなった。秋水は、
「一般に新聞では、名義を他人に任せて、政府の弾圧に備えているが、ぼくらは、それをやめよう。主宰するものが一切の責任を負うべきだ。ぼくがなる」
といった、枯川は、
「君には老いた母上もいるし、からだも弱い。入獄したら死んでしまう。ぼくがやる」
と主張し、ついに秋水を説き伏せた。
 当局の弾圧は目に見えていた。入獄は必至といってよい。秋水は枯川の友情に涙をこぼした。また枯川は、
「二人の間で何か意見の食い違いがあって争いになったら、ぼくが先に折れるよ」
ともいった。枯川は、年下の秋水をあくまでも立てる覚悟であり、じっさい、裏方役に徹した。(下巻57p)
 
男だな。長谷川哲也の「ナポレオン」っぽく)

明治の男は熱いぜっ。そして大逆事件を知った徳富蘆花の反応も熱かったです。

 徳富蘆花は大量の死刑判決の背後に隠れている真実を見抜いていた。
 彼は「天皇陛下に願い奉る」と題した文章を書いて、朝日の池辺三山のもとへ送った。しかし、これは掲載されなかった。蘆花は、このころ一高の学生から講演を依頼されていた。二月一日、彼は学生たちを前に、「謀反論」と題して、激しい言葉を吐いた。
「国家百年の大計からいえば、眼前十二名の無政府主義者を殺して、将来長く無数の無政府主義者を産むべき種子をまいてしまった。忠義立てして、謀反人十二名を殺した閣臣こそ真に不義不忠の民である。…諸君、幸徳君らは時の政府の謀反人とみなされて殺された。が、謀反を恐れてはならぬ。みずから謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものはつねに謀反である」
 これを聞いた学生たちのなかに、のちの社会党委員長河上丈太郎や哲学者矢内原忠雄がいた。
 蘆花は、夫人愛子の日記によると、処刑を新聞で知った夜は、一晩中、
「かわいそうでならぬ」
と泣きあかしたという。社会主義に対する暴風の吹き荒れてるなかで、これだけのことを言いきった蘆花の勇気はさすがである。しかし、文部省は、一高校長新渡戸稲造の責任を問うた。演説の速記録は没収され、新渡戸は辞職した。(下巻105p)

徳富蘆花ってこんな太い人だったのか。今まで全然知らなかった。お兄ちゃんよりも傑物なんじゃなかろうか。
と、自分の無知さ加減にもビックリなのですが、この大逆事件以降は、なんだかこの列伝も息苦しくなってきます。
勿論、明治初期の頃から政府側がバンバン言論を弾圧してきているのですが、どうも時を経るごとに陰湿になってきてるような気がします。やだなあ。