賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

’90・・・サイバーな頃

  • 「ボノは見捨てられた曲たちのマザー・テレサだ。瞬間的に浮かんできたようなアイディアでさえ、彼は全ての愛情を持って論じた。ラリーとアダムは、信頼できる広い視野の持ち主だ。事態を遠くから見過ぎてバランスを欠いたり、あまりにも近視眼的な見方になってしまった時こそ彼らの出番。ふたりは音楽的な善悪の判断を任されていた。エッジはラフ・ミックスの考古学者だ。曲の発達段階の初期の層まで掘り下げ、ボロボロのカセットから異なったバージョンを持って、勝ち誇ったように現れる。スティーヴ・リリィホワイトは、大いに歓迎される助っ人だ。彼はミキシングの段階にやってくる。いつも新鮮な気分と熱意に溢れ、過去にこだわらず、自分の耳を信じている。ダニエルは曲の骨格まで聴き分け、みんなが気付かなくなってしまったようなものにも今一度注目するように促してくれる。フラッドはぼくら全員が家に帰った後、素晴らしい独特のミックスで、眠りについていた曲を目覚めさせる。ぼくは自分の直感を信じて、疑わしいものや熱狂的なものを増大したり、イギリス人っぽく不満を漏らしたり、色々矛盾したことを言っている」byブライアン・イーノ

 

  • 「レコーディング中、内輪でよく使ってた言葉は、クズ、落ちこぼれ、ダーク、セクシー、そしてロック産業的(すべて良い意味)や、真面目、上品、甘美、素晴らしい、ロック主義的、直線的(すべて悪い意味)」同上

 

  • 「ぼくに言えるのは、これこそが今自分が求めているものだということ。未加工でナマっぽくて、ラフで素直で、物事の本質をそのまま捉えたような……。ある意味で洗練の対極にある」byエッジ

 

  • 詐欺さ。人をはぐらかすための・・・前代未聞のとんでもない作品。今までで一番シリアスな作品さ。タイトルとは裏腹にね。だから騙された。実際には――僕ら哀しいほど暗いからね。

 

  • スター冥利というものを今でも学んでいるね。たったいまそこでガードマンを殴り倒してきたけど、すごく気分よかったぜ。誰か俺にジャック・ダニエルをくれないか。そしたら目の前で飲んでやるよ。

 

  • 俺の唯一の責任は無責任であるということ。みんなに俺のことを信じるなっていうことさ。俺はロックンロール・スターだからね。「俺の言うことはこれっぽっちも信じるなよ!」って言ってるんだ。俺は金をもらう。俺は逃げる。そういう俺なんだって知るべきだね。

 

  • ヒーローじゃないんだ。ロックンローラーだ。腐ってるんだ。俺はやってることに対して金をもらいすぎている。もちろん、金なんかもらわなくたってやるぜ。わかるかい? 君たちはヒーローを求めている。君たちは……、メディアは、ヒーローを作り出そうとしている。でも俺がこれは仕事なんだって言ったら、きっと俺を殺すだろう。だから、今言ったことは撤回するよ。

 

  • 「心から」なんて言う奴を信用するな。絶対にね。それから葉巻を吸う男も信用するな。カウボーイもサングラスをかけた男も。

 

  • ロックンロール・スターの最初の責任は退屈な奴にならないことだ。

 

  • 俺だって間抜けじゃないよ。ロックンロール・ミュージックの不毛性には気づいているさ。だけど、そのパワーにも気がついているんだ。

 

  • ロックンロールの世界は俺と同じくらい腹黒いけれど、すべてを価値あるものにする一粒の宝石を見出すことができるだろう。

 

  • ロックンロールはシボレーの後部座席でするセックスにとりつかれている。

 

  • ロック・スターになるってどんな感じかって? 他の人の方が答える資格があるんじゃないかな。俺自身はパート・タイムのロック・スターだと思ってるし。俺たちは史上最悪のロックンロール・スターだろうね。あらゆる点で正しくない……。間違ったやり方に固執してるんだ。

 

  • 誰のアイデアだったかはよく覚えていないんだ。ただ、ラリーがポルノ・スターの誰かに似てて、エッジが妹のジルそっくりになったこと。アダムはいまだに服を脱がずにいるよ。俺はバーバラ・ブッシュに見えたってことだけだよ(女装について)。

 

  • 白人がスーツとタイで身を固めている。たとえ裂けたシャツを着ててもやっぱりその下にはスーツを着ているのさ。人前でズボンを脱ぐことをおそれているしね。誰かがその偽りを破らなきゃいけない。

 

  • ミュージシャンとしては、いつでも服を脱ぐ用意をしておかなくちゃいけない。

 

  • アルバムは聴きやすいものじゃなかったようだね。特に初めて買ったような人にはね。だけどロックンロールは今そうあるべきだと思わないかい? ちょっとぶざまで、ちょっと消化しにくいものであるべきだと。つまり、俺たちはジャンク・フードの時代に住んでいる。すべてがナイスでエアブラシがかけられていて……。そういうのは容易に消化されちまう。ペッと吐き出すのと同じくらい容易にね。ロックンロールはそんなに簡単に説明できちゃいけないと思うんだよ。時間がかかるべきなんだ。皿の上に乗ってちゃいけないんだ。

 

  • このごろでは、広告マンたちのエアブラシで処理した世界の見方にうんざりしてるんだ。映画でも完璧な撮影技術とか美しい芸術性とかはいやなんだよ、俺。きれいすぎて広告みたいだからね。

 

  • これは僕の個人的見解だけど、20世紀において、一番重要な瞬間は何だったかといえば、エルヴィスのあの異様な腰の振り方の中で、アフリカのリズムと、ヨーロッパのメロディがぶつかり合った瞬間だったと思う。まさにセクシャル・レヴォリューションの始まりだったと思うし、白人と黒人をぶつけたという意味でも、政治的な革命の始まりだった。まさにスピリチュアルな革命の始まりだったと思うよ。と言うのも、それ以降、スピリチュアルというものの意味を考え直さなければならなくなったから。

 

  • 黒人が素晴らしいのは、彼らの中で、セクシャルであることと、スピリチュアルであることが決して対立してないことだ。ところが、これがW.A.S.P.には、実に大きな問題なんだ。なぜだかわかる? つまり、彼らの考え方は露骨に言ってしまえば、神様をドアから追い出した後でしか勃起できないのさ。

 

  • ・また『アクトン・ベイビー』のレコーディングの合間によくマイ・ブラディ・ヴァレンタインを聴いてたっていう話なんですけど、聴くものはたくさんあったわけですか?

 

  • うん、レコードは山ほどあったよ。でも、やっぱりマイ・ブラディ・ヴァレンタインが特に気に入ったな。(中略)つまり、もし曲とかバンドのスタイルとか、そういうものを基準にしてレコードを聴くのをやめて、単純に音楽をもっと純粋なムードとしてのみとらえるようにしたらどうなるだろうっていうね。そう考えると、今流行っている音楽のほとんどがさして新しくもないってことが分かるんだよ。飾り方がちょっと違うってだけでね。だから、そのバンドが持つ独特のムードが多ければ多いほどそのバンドはそれだけすごいってことになるわけだ。で、マイ・ブラディ・ヴァレンタインにはそういう彼等独自のムードっていうものがあると思うんだ。

 

  • とにかく音楽を聴いた時には『このムードを聴いたことがあるだろうか』と考えてみるといいんだよ。あるいは好きなレコードについて、そのレコードの作品そのものが好きなのか、それとも何か別な音楽を連想させるから好きなのか、よく考え直してみるわけだよ。これがすごい作品なのか、それともこれはすごい作品を喚起させる作品なのかっていうね。

 

  • ZOO TVは、スタジアムをTVのあるリビング・ルームに変容させることでエネルギーを得ているんだ。巨大なAPで個人的な歌を流してね。メタル・ギター、慣例となったダンス、トラッシュ・アート、すべての家庭にあるもの、人をいらいらさせるもの。矛盾があればあるほどいい。片方の手にポシティヴなものを持ち、もう片方にはネガティヴなものを持つようなものさ。それがZOO TVのエネルギーなんだ。

 

  • TVをつければ、そこにアメリカがある。俺たちは皆、その意味でアメリカに住んでいるんだ。聴く音楽もたいていアメリカのものだし……。アメリカはただ7億の人間が住んでいるというだけの国じゃない。ヴィム・ヴェンダースが言っていたよ。「アメリカは俺たちの潜在意識を植民地にしている」ってね。アメリカはどこにでもある。だから、どうやって俺の身体から追い出せるって言うんだ?

 

  • この曲は「ベイビー・フェイス」と呼ばれている。ステージに作った明るい人工的な風景の中で、観客を窓の中にいざなうんだ。そこには男がいてTVの誰かを見ている。パーソナリティだ。そいつが執着している有名人だよ。これは人がどんなに映像をもてあそんでいるかという歌なんだ。映像を通じて誰かを知っていると思い込み、機械のように操られて物事を考える。実際、人をコントロールしているんだ。そういうパワーを持つことができる。

 

  • 美人コンテストについての歌だよ。別に「サラエボはひどい状況になっている。俺たちに金をくれよ。分け前はもらうけどな」と言ってるわけじゃない(「ミス・サラエボ」について)。

 

  • 癒やしの効果がない音楽は好きじゃない。コンサートに来た人たちにイライラしたまま帰ってほしくないんだ。ポシティヴになって、前より自由を感じて帰っていってほしい。世の中は暗く見えるかも知れないけれど、いつだって希望はあるんだら。

 

  • パワフルでいるということは喪失を意味することでもあるんだ。だから、僕は天国と地獄の両方で生きていたい。

 

  • 歌詞なんかに関してさ、過去に俺が随分おおげさな主張をして、そのせいでヒンシュクを買ったことも俺は知ってるよ。でもさ、『ボーイ』を発表したとき、俺はまだ、十八才だったんだよ。まあ、当時はそういう感性や気持ちを信じてやっていたんだけど、今や、俺はブルースが分かるようになったんだ。ロバート・ジョンソンの何たるかを今の俺は理解できるし、また、俺は楽にブルースが書けるようにもなったんだ。どうしてだか分からないけどね。俺はアイルランド人で、白人なんだけどね。

 

  • イギリス人の<ビッグ>に対する先入観は、音楽についてというより、帝国とその喪失に深く関わっている。彼らはかつて強大な海軍を持っていた。強いサッカー・チームも。ビッグな頭脳でビッグな橋やその他さまざまなものを作り上げた。そして、最もビッグなロックンロール・バンドのいくつかもイギリスから生まれている。しかし今や、すべてが「私たちはビッグではない。そうなりたくないから」だと言うんだ。馬鹿なこと言ってんなよ、それでも男かと言いたいよ。小さいことは美しいなんて日本人に任せとけよ。彼らの方がずっとうまいんだから。ロックンロールはビッグになることなんだ。ビッグになろうとする勢いが必須条件なんであって、家内工業がいいんなら、編み物でもやっていればいい。これは一種の「ペニス願望」だと思うね。大英帝国はかつてアメリカだった。あの頃は大きいことがいいことだった。今の小さいことは美しいことだなんて考えは、俺に言わせりゃ、アメリカ人になることのへの恐怖以外の何ものでもないね。

 

  • ブラーにしろオアシスにしろエラスティカにしろ、みんな本当にグレイトになりたがってて、ストーンズビートルズのようになりたいと思ってるだろ。すごく面白いね。80年代にそんな野心をあらわにしたら絞首刑ものだったからね。あのインディー精神ってやつがロックンロールの脚を撃ち抜いてしまってたんだ。そこから抜け出しててっぺんまで行ってくれるバンドが出てくることを心底願ってるよ。シャイな人間はロックンロール・バンドになんて加わらない。焼き物師にでもなってるさ。ブラーとオアシスには世界を敵に回してメインストリームをファックしてもらいたいね。

 

  • あまりにも安易に思えるからだよ。アンダーグラウンドというのはあまりに安易な場所だ。改宗済みの民衆にむかって説教し、小さな輪の中で反抗児をやってカッコいい人になる。まさにそれなんだよ、今度のアルバムが『ポップ』っていうタイトルなのは。ここにある音楽のエネルギー、これはラジオに乗って東京へもダブリンへもニューヨークへも伝わっていくべきものだんだ。エネルギーだよ。それを避けようというのは小心者のやることとしか思えない。

 

  • ロックンロールは他の偉そうな文化のような顔をして歩いてちゃいけないんだ。 本質は同じであってもね。ブラック・ミュージックやヒップホップをごらんよ。 たとえばJ・クリントン、P・ファンカデリック。 僕らのこのショウの起源はそこにあるんだ。白人のロックとはちょっと違ったものなんだ。 白人のロックは分かってないよ。規則や決まりごとだらけでものすごくコンサバなんだから。 連中は何が正統かということについて、信じられないくらいいんちきなアイデアを生み出したしね。 もう、時間が止まっちゃってるんだよ、白人のロックは。でもブラックミュージックは ブワ――――って、ありとあらゆる断片を詰め込んで 混ぜ合わせてさ。トリッキーをごらんよ。グルーヴ、メタル、何でもかんでも ポップ・ミュージックとまぜこぜにして、まさに未来を切り拓いているじゃないか。 でね。僕としては、黒いバンドのフリをした白いバンドだけはやりたくないんだ。 こいつは昔ながらの罠。誤った症候だよ。大体僕らなんか白くもない、 ピンクなんだしさ。アイリッシュなんだから(笑)

 

  • あんまり美しくて苛々してくることもある。こんなの美しすぎる、何もかもぶっ壊して回りたいって思うんだよ。それで、スクリーンを全部消したこともあった。(中略)でも、そういうことをしたっていいことなんだよ。こんな仕掛けなんか何もなくたってやれるんだってことを、自分たちに対して証明しなきゃならなかったんだ。その手の反逆というか、反抗心っていうのはどこまでいっても僕らの中にあるんだろうね。

 

  • 「僕が彼らとともに取り組んだ全てのレコードには、どれだけ実験的要素が積み込まれていようと、一つの部屋の中で四人が一緒に演奏しているという中心核が常に存在してたんだ。それこそが、あのアルバム(『POP』)では急展開の中で取り戻す事なく捨ててしまったものの一つだったよ」byフラッド