賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

十面埋伏の計は男のロマン

 今となれば、もう書いてもいいかと思うので書くのだが。
 吉川(英治)さんの文化勲章の受賞が内定した当時、私は、文部省のある人から依頼を受けた。吉川さんは、以前にも紫綬褒章を辞退された事があったので、今度も辞退されるのではないかと懼(おそ)れる。ついては内意を伺って欲しいと依頼された。
仕方がないので、吉川さんにお会いしてその旨を伝えたところ、吉川さんは、長い間、黙って考えていたが、折角だが辞退したい、とはっきりした返事であった。
私には、吉川さんの気性は分かっていたし、私から何か言う理由はないのだし、引退(ひきさが)ろうとしたが、どうも残念な事と思われて仕方がなかったので、お目出たい事になったら、読者がさぞ喜ぶでしょう、それも考えて見て下さい、という言葉が、つい口に出て了った。
吉川さんは、ちょっと驚いたような顔をしたが、又、すっかり考えこんで了い、私は黙って座っているより他はなかった。
やがて、吉川さんは、夫人を呼んで相談され、受諾された。
吉川さんの文学については、いろいろに批評が出来ようが、私は、あまり重んじない。
やはり、作者の心持ちが、読者に通じているというところが根本であろうと考えている。


来客を前にずっと長い間黙って考えこむってのがまたいいですね。こういう不器用なほど真面目な人って好きです。
十代の頃、吉川英治の「宮本武蔵」やら「三国志」やらを読みふけってたものですが、こういう心持ちの人であったかと、それがなんかちょっと嬉しかったり。