賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

おれはお前を独りででも援けてやるぞ

 頭山先生の正伝を作ることとなり、朝日新聞緒方竹虎、外交官の広田弘毅、政治家の中野正剛が編纂委員となって相談の結果、執筆者には葦津が指名された。その人選に頭山も満足し、同意されたことを受けて、次のやうに回想してゐる。

 私はかねてから頭山先生を絶世の英雄として傾倒してゐたので、この光栄に感激した。緒方さんからまづ速記者を提供してもらひ、翁をたづねて連日のやうにお話を聞いた。忘れがたい感激的な仕事をつづけた。ところがいろいろの事情を考えて執筆を中断して、お断りしてしまった。
 その理由を翁に質されて「今の私の筆力では、先生の真の姿を書きえないと思ったからです」と答へた

といふ。その時、翁は、枕下に近く呼びよせて、

 おれは、長い生涯相親しみ相交って来た者の数は多かった。その中で「親」を以て交った者は多かったが「敬」を以て交った者は存外少なかった。お前の父とは敬と親とを以て交って来た――お前の父は亡くなったけれども、お前が来るとおれは、お前の父と同一に、思ふて来た。緒方などが正伝を作ると云ふて来たが、本来を云へば、おれには正伝など有っても無くてもいいので、正伝など別に欲しいとも思はぬ。しかしお前が書く、と云ふので、おれは、お前に書かせることに期待して、それを楽しみに話をして聞かせた。お前が書かぬといふのを無理にすすめもせぬが、と云われた。

私は先生の父子二代にわたる知己に感動して、辞退の決意も動揺したが、私は書きたい意思は山々ですが、今はその時ではないと思ひます。将来、私がいささか筆に自信を得ましたならば、正伝はできないまでも、先生の片影でも必ず書きたいと思ってをります、と申上げた

先生は、私の顔を直視してをられたが、お前の思ふがままにするがいい。話は承知した。――お前が、信ずる所に従って行くがいい。お前が元帥大将宰相とケンカしようとも、天下万人を相手に戦はうとも、おれはお前を独りででも援けてやるぞ。その一事は言ふておく。思ふ存分の事をやれ、と云はれた。

 この先生の話を聞く私は感動戦慄を禁じえなかった。私は、死に直面しても、この老先生の援けを求めようなどとは決して思はなかった。しかしこの知己の語を聞いて、私はその嬉しさを彼岸の亡父に伝へたいと痛感した。

 そのころ渋谷の頭山家のあたりは静かで近くに生け垣のならぶ小路があった。私は、うす暗くなった夕方であったか――その小路を歩きながら泣いた。立ち止って、声をあげて泣いた。私は、今この一文を書きながらも、当時の情景を想ひおこして涙が流れる。

 頭山先生とは、かくの如き人であった。この先生に接して「士は己を知る者のために死す」との感慨決意を固めた門下生が、次々と生れて来た。まことに士を知る者こそは将たり得る。先生は、将に将たるの人であった。おそらく私と同じ感慨をもって、時に臨み事にさいして、先生の一命下るを待ちながらも、時を得ずして轗軻不遇のまま、この世を去った門下生も少なくあるまい。ここに先生の天下無敵の威力の一源泉があった。

 ――語れば思ひはつきぬ。私は、来世にあっても、頭山門下生であらう。
(葦津珍彦選集2巻「葦津珍彦の戦闘精神」より)