正義と国益(独り言っす)
国益を追求するということは「殺してでもうばいとる」ということであり、それは別に不自然なことでもなければ悪いことでもない。ライオンやカマキリでもやっていること。
生き物が生き物の命を奪って生きていくのは誰が悪いという訳でもなく、強いて言えばそういう風に生き物をお作りになった神様が悪いということになるが、神を恨んだところでどうにもなるまい。使えねえな。
諸外国が国益を追求する行為にはなにも言わないのに、日本が国益を追求すると怒りだす人たちがいて、大抵そういう人たちはサヨク的な人とされるのだが、そういう人は日本を大層エラい国だと考えていて他の国を余程野蛮な国と、さぞかし軽蔑しているのでしょう。勤皇派か。
つまらない皮肉はさておき、従軍慰安婦その他、外国人の人権問題には口やかましく批判するくせに、自国民の北朝鮮の拉致問題に関しては気を失ったように沈黙する人たち、日本人がなした悪にはツッコミを入れるが日本人に加えられた悪には華麗にスルーする日本人とは、こは一体何者か?
「日本はこんなに悪いことをしているのです!」
「でも中国も韓国も悪いことしてるよ?」
「日本は中国や韓国に悪いことをしたから文句を言うなです!」
「その問題は解決してるよ?」
「政治的に解決していても倫理的には決して解決しないのです。未来永劫日本は中国や韓国に悪いことをされても我慢しなければいけないのです!」
正義は喜びをもって語ること。国益の問題と正義の問題は必ずしもリンクしないことを知ること。
川へ行って魚を釣る。楽しい。火で焙って食べる。とても美味しい。非常な喜び。他の生き物の命を奪ってしまった哀しみは、また別のお話。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」。あなたの優しさは強さに基づいたものなのだろうか。それとも弱さに基づいた怨望に過ぎないのだろうか。