賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「祝「ピアノの森」連載再開! 」補足

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14日に書いた記事が、あんまりといえばあんまりな内容なので、もうちょっと、書いてみます。忙しかったの、忙しかったのよ~。

ピアノの森」という作品は、タイトルでお分かりになるかと思いますが、音楽(クラシック)を題材にしたマンガです。とはいえ、この作品は音楽マンガとして読むのではなく、普通に「面白いマンガ」としても読める作品だと思います。

特に主人公が高校生になってからの展開は、作者がなにかに覚醒したのではないかと勘繰ってしまうくらい、非常に良いテンポでお話が進められ、「どうなるの、どうなっちゃうの?」とドキドキワクワクしながら読んでいたのですが、なんと、そこで唐突に休載(マジかよー)・・・。

ワタシは最近になってこの作品を読むようになったので、ダメージは軽微で済んだのですが、リアルタイムでこの作品を追いかけてた人たちは、まことにご愁傷様でしたとしか言えませぬ。で、その作品が891日ぶりに連載再開されたワケでして、さぞやファンの方々は狂喜乱舞したことでしょう。おめでとうございます。


ということで、ということでもないのですが、久しぶりに、埃をかぶりまくってたモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いてみたのですが、メロディの美しさに、なんだか呆れてしまいました。こんなに美しかったっけ? 25番の第1楽章など、「あれは美しすぎて音楽ではない」などと、どこぞのヘンタイ軍師みたいな気持ちになってしまいました。

通の方々にとっては、25番は、いまいち評判がよろしくないようで、他の協奏曲に比べると深みに欠けているらしいのですが、いやあシロートのワタシには全然そんな風には思わなかったです。

ロックという音楽は、Roll Over Beethoven(ベートーベンをぶっとばせ!)という曲名が象徴しているように、反クラシック志向であると思いますが、でも彼らはいつでも、そこに還ることができる。実際に還ることはないのですが、そういう場所があるというだけで大きいと思う。まあ、リッチー・ブラックモアのように本当に還っちゃった人もいますが(笑)
それがちょっと羨ましいというか、日本でロックやってると、どこにも還る場所がなくって、これは辛いだろうなあと思う時があります。

抽象的な言い方ですみません。なんというか、モーツァルトを聴いてて、「これは勉強になる!」と思いましたので(笑)
ワタシの場合は「勉強になる」程度なんですが、欧米人の場合は、こういう音楽を作り出す、作り出さざるをえない必然性というものがあり、勉強する必要はないんだろうな、羨ましいなあと、そういうカンジかな。伝統の底力というか(笑)

といっても、モーツァルトは、たまたまヨーロッパの一地域に生れ落ちてしまっただけであり、どこで生まれたかは関係ない、という考え方もありなワケで、うん、そっちの方が健全だな。チベットモーツァルトですよ(笑)


話を戻しまして、「ピアノの森」ではモーツァルトではなく、ショパンがキーとなるみたいですが、期待通りの面白さで今後の展開が楽しみです。
蒼天航路」が連載終了したら、モーニング読むのやめようと思ったけど、これはちょっとやめられないな。そして「わたしはあい」は、とっとと打ち切りにしてくれれば文句ないです。