賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

平井和正のこと

幻魔大戦」「ウルフガイ」などで知られるSF作家・平井和正さんが1月17日に死去した。76歳だった。

 横須賀市出身。中央大学在学中の1961年に「殺人地帯」がSFマガジン第1回コンテスト奨励賞を受賞してデビュー。漫画「8マン」の原作を手がけ、その後「ウルフガイ」シリーズ、「幻魔大戦」シリーズで人気になった。

 PC方面にも明るく、日本で初の本格的オンライン小説という「ボヘミアンガラス・ストリート」をパソコン通信上で連載したことも。親指シフトキーボードの愛用者としても知られた。(引用元はこちら


大変今更なのですが、1月に亡くなられた平井和正氏について。はい、若かりし頃は非常に影響を受けた作家さんでした。

24、5歳くらいの頃、本を読むという行為がどうにもイヤになってしまい、部屋にある本をみんな処分してしまったことがあります。
勿論マンガも例外ではなく、ジョジョ聖闘士星矢もはじめの一歩もすべて売り払ってしまいました。
ガランとした本棚を見て非常に清々した記憶があるのですが(結局また満杯になったけど)、それでもどうしてもこれだけは手放せない、という本も何冊かあり、その一冊が平井和正氏のご本でした。


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さすがに手元から離せなかっただけあって、久しぶりに読み返すと、呆れるくらい文体を真似してるなあと赤面せざるを得ないのですが(このですます調の文体はまさにそれです)、酒見賢一も影響を受けてるから大丈夫!

小説や漫画といった創作物は小手先の技術で書くものではない、己の血肉でしたためるものだ、という創作姿勢は間違いなくワタシの創作物の価値判断に重大な影響を与えてくれましたが、幻魔大戦をはじめとする「言霊使い」としてのスタンスはざっくりいうと「オカルト」方面への興味を導いてくれました。まあこれはあまり語りたくないので割愛します(笑)。

最後に、あまり知られてないんじゃないかな~と思える平井和正の一文を引用したいと思います。

「「幻魔」を考える」というタイトルで、多分「幻魔大戦」の新装版かなにかのあとがきではないかと思うのですが(図書館で借りてコピーしたのでイマイチ出典元が分からないっす)、某宗教団体に関わった経験についての話ですので、なかなか興味深いのではないかと思われます。


 自分の人生は、すべて『幻魔大戦』を書くために集約されて存在する――そんな奇妙な信念が長い間私に取り憑いていました。
 私を動かした言霊は、それほど強力であり苛烈な代物でした。その他のことがなにひとつ考えられなくなってしまっているのです。真っ暗なトンネルの中を私は闇雲に歩き続けている心地がしました。
 すべては、新宗教に九ヵ月間在籍した経験の、後遺症でした。自分の魂を震撼させた経験が愚劣な盲信・狂信でしかなかったことを、何とかして認めたくないがための、死に物狂いの足掻きだった。そういってしまうのは辛いが、自分自身が愚かしい惨めな狂信状態にあったことは認めざるを得ません。
 いやというほど、他人のそれは眺めてきたくせに、身震いするほどの嫌悪を抑えきれないくせに、自分だけはそうではなかったと否定したいのです。現実は否定しがたいものであるのに、自分だけは理性を終始留めており、健全なバランス感覚に基づいて行動していた。他の人間たちとは違う。局限まで振れた振り子が次は反対方向へ降り戻すように、これまでの生神様と崇めた人間を一瞬にして、サタン呼ばわりし悪しざまに罵ることだけはしたくない。
 自分の過去の一時期、れっきとした盲信・狂信の渦中にあったことを認めた上で、熱烈な生神様崇拝に自分を赴かせた当のカリスマが卑小な正体を明らかにしてしまった今、それを償う方法はないものか……私は長い間不眠の夜を思い過ごして思い迷った挙げ句、いったん棚上げにすることにしたのでした。
 棚上げにすること、それが人生の知恵だ、と私は思いました。判断を保留しなければならないことは、いったん猶予の時を与えて棚上げにしてやろう。そのうちに、正体が明らかになるだろうし、棚上げの物件が棚に溢れ返ったら、棚ごと私の上に落ちてくるはずだ。その時になるまで、じっくりこの問題を追及してやろう。
 その時の決心から、十数年。今やっと私は棚上げした問題を、すべて下ろした上で、一つ一つ吟味することができるようになったのです。