賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「大東亜論 最終章」(小林よしのり)を読んだ

慕ちゃんが完全にセクハラ親父になってる件(→■

ただでさえ造型が似通ってるのに性癖まで、あの龍神さまと合致してきてるじゃないですか~!

玄ちゃんは「母性を求めている」という理由でおっぱい星人になり果てているのですが、慕ちゃんも母性なんですかねえ。その割にはナナさんあんまり胸はないような…

 

と、こっちまでセクハラ的な発言になりそうですので前振りは終了。今回は「大東亜論」シリーズ最終作の感想です、くっそ眠いけど頑張ります。ちなみにブログのデザインをちょこちょこマイナーチェンジ致しました。

 

 

 最終章とはいえ、残念ながら掲載誌の事情により「未完」で終了。全4巻ということと相成りましたが、私は第二部が一番好きです。その頃は渡辺京二やら橋川文三やらを読んでいた時期でしたので、いわゆる不平士族の反乱を描いた第二部を読めたのは実にタイミングが良かったです。 ちなみにその時の感想がこれ(↓)です。

 

 

この大東亜論シリーズを読んで一番驚いたのは、なんといっても玄洋社という右翼の源流とみなされている超コワモテ団体を生み出したのは、高場乱という女性だったことでした。これは本当に驚いたなあ。「日本は女ならでは夜の明けぬ国」ってマジですやん。でも男女平等ランキングでは110位なんですよね、解せぬ。

 

頭山満はこの女性のことを「無欲と親切以外に持ち合わせがない」と、絶賛していますが(これ以上の賛辞は恐らく地球上に存在しない)、おかげで玄洋社のイメージがえれえ変わっちめえやした。

 

そういえば第三部で、玄洋社の憲則が成立したエピソードが載ってましたが、当初は

 

第一条 皇室ヲ敬戴ス可シ

第二条 本国ヲ愛重ス可シ

第三条 人民の主権を固守ス可シ

 

だったものの、「主権」という言葉を政府が気に入らなくて、主権ではなく「権利」に変更されられたんですって。この第一条と第三条が対立するものではなく、すんなり同居してるのが面白いですね。

 

それはさておき、第三部では、その高場乱女史の死で終わってたのが哀しかったのです。孔子もそうでしたが、若い弟子たちに先立たれていくというのは師としては悲痛の限りですね。

 

渡辺京二の「神風連とその時代」では、神風連(敬神党)の思想的な祖始と位置付けられる林櫻園についての章が設けられてますが(「見神者」)、この人もまた一風変わった人ですね。

 

 彼は弟子たちに対して、無用の博識をいやしみ、知識をつねに皇道の自覚と統一することを求めた点で厳格な導師であったが、その言動には凝滞することのない自由な、あえていえばアナーキーなほどの精神の運動が感じられる。彼の思考の奔放さには弟子たちもずいぶんとまどった気配がある。ある日藤崎宮に詣でて、境内の地蔵尊に一礼したのを弟子に見とがめられたとき、彼はこういいぬけて破顔したという。「日本においでになって日本をお護りになる以上は、仏様でも何でもおがまねばなりませぬ」。彼には洋物嫌悪などかけらもなく、明治になってからも白砂糖でも毛布でも「結構結構」といって平気で用いたということだ。 (「神風連とその時代」118p)

 

神風連といいますと、狂的なまでの排外主義みたいなイメージがありましたが、これまた見事に背負い投げを食わされましたよ。こういう人が師匠だったとは…やっぱ歴史って実際に当たってみないことには分らんもんなんですねえ。

 

と、アナーキーなほど自由度が高い櫻園ですが、日本に開国を迫る諸外国に対しては確固たる考えがありました。↓

 

 

それまで「攘夷」というのは狂的なアレルギー反応、もしくは討幕のための一方便くらいにしか考えてなかった自分には、この櫻園の主張は衝撃でした。思想としての攘夷があるんだというか、戦った上でしか真の独立は得られないという過酷な事実を突きつけられたと言いますか、とにかく衝撃でした。衝撃すぎて未完成で終わってますよ(笑)。

 

などと渡辺京二橋川文三の諸作品により、神風連やら西郷隆盛やら北一輝やら中江丑吉やらで、てんやわんやしておりましたので、漫画という形で分かりやすく腑分けしてくれる「大東亜論」(靖国神社に祀られなかった武士たちの物語)は非常にありがたい作品でした。漫画は偉大だ。植木枝盛は最後まで好きになれなかったなあ。

 

大東亜論というタイトルから言って、大アジア主義について本格的に語る前に終わってしまったのは、とても無念なことでありますが、あとがきで軽くその後の展開について触れているのがわずかな救いですね。

 

 昨年(2018年)は「明治150年」などと言われたが、特に保守を自称する者には明治を礼賛する者が多い。

 だがそれは、単に「勝った」歴史だからである。大久保利通的な西洋覇道、弱肉強食の論理で礼賛しているだけなのである。

 わしはそんな明治礼賛史観は支持しないし、かといって左翼が言うような、単に日本が侵略国になった歴史だとする自虐史観に与するつもりもないのだが、明治とは、日本が大切なものを喪失していった堕落の時代だと思っている。(「あとがき」234pより)

 

たとえば、内村鑑三のような思想を持った人を「大東亜論」ではどう描くつもりだったのかなあとか、興味は尽きないのですが、後はもう自分で想像していくしかないですね(笑)

 

最後に渡辺京二の「維新の夢」に収められている西郷隆盛論(「逆説としての明治十年戦争」)からの一節を引用して擱筆します。

 

 己を愛さずともすむ心、それは己を羞じるぶこつな魂であるに違いない。内村鑑三はその感動的な西郷隆盛論のなかに次のような挿話を録している。「実に彼は他人の平和を擾(みだ)すことを非常に嫌つた。他人の家を訪ねても、進んで案内を乞はず、玄関に立つたまま折よく誰かが出てみつけてくれるまで、そこに待つてゐることがよくあつた程である」。彼の数ある逸話のなかで、私はこの挿話にだけほんとうにおどろく。しかしこういう人格は、古い日本人にとってはある意味ではなじみ深いものであった。私がおどろくのは私が現代日本人だからである。古い日本人にとってこのような人格はしたわしくはあっても、ことさらおどろくべきものではなかった。なぜならそれは伝統的な範型のひとつであって、そのような人格の形象はこの国の歴史において、少数ではあってもしばしば現れることがあったからである。(290p)