賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

ヤマトダマシイとはなんぞや?

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最近読んでた本など。できれば一生、マンガとロックだけで済ませておきたかったんですけど、さすがにちょっと日本の未来が心配になってきて・・・。

ということでまず読んでみたのが「真冬の向日葵」(さかき漣/三橋貴明)という本。

自民党総裁選の報道に疑問を持ち、マスコミの実状を知ろうと新聞社でインターシップとして働くことになった主人公、一之宮雪乃。彼女が目にしたのは、国民を安易な投票行動へと導いたマスコミの歪んだ情報操作だった! 
報道とは何なのか? 報道の何を見るべきなのか? 政治家の何に耳を傾けるべきなのか? 誤った選択をしないために、私たち国民は何を身につけるべきなのか?
メディア操作に過剰に反応する日本の政治と国民の姿を、冷静かつ客観的視点で見つめる傑作小説!(アマゾンより引用

総選挙が始まる前に、「ああ、そんなことあったなあ」と、忘れ去られてしまった感のある当時のマスコミによる麻生バッシングを思い起こしてもらおうと、相当急いで制作されたそうですが、ワタシが読んだ時は選挙終わってました。ドンマイ俺!

マスコミがまったくもって信用ならないことはもはや自明の理となってますが、本当にヒドかったみたいですねえ。「国立メディア芸術総合センター」が潰されたのは実に惜しいな!
麻生バッシング自体、よく知らなかったのですが(完全なる無知)、公職選挙法で人気投票の公表が禁止されてるとか、これは驚いたなあ。誰が多く支持されてるのか知りたいとか、完全に風見鶏志向じゃないですか。こんなん禁止云々以前に有害無意味だよ。マスコミの現在の体たらくが何に起因するかについては、こんな風に書かれてますね。


《まさに、自分で答えを書いている。他の新聞社やテレビが自社の不祥事を報じないからこそ、一部のおかしな社員が明らかに日本国を貶める報道を続けることができたのだ。日本のマスコミの問題は、最終的にはこの「庇い合い」体質に行き着く。誰からも批判されない以上、新聞産業の自浄能力は働きようがない。結果、今回の事件が明るみになったのだ》

《でも、他の新聞とかが書かないとしても、社内のガバナンスは働くはずだよね。スポンサーにまで迷惑をかけるような大不祥事を起こしたら、少なくとも株主は黙っていないと思うんだけど。株価が暴落するから、普通は株主が怒るでしょ》

《日本の新聞社の中で、株式を上場してるところは、一社もない。全ての新聞社は非上場だ。しかも、既存の株主は身内ばかりだ。よって、株主によるガバナンスは一切働かない》

《ちなみに、日本の大手紙は全て国有地を政府から安価に払い下げてもらい、本社を建設し、ビジネスを営んでいる。しかも、販売店に不要な新聞の在庫を押し付ける「押し紙」行為を、公正取引委員会に目をつぶってもらっている。そのため、日本の新聞社は、本当の意味で政府に逆らうことなど、できなくなってしまっているわけだ。特に、財務省記者クラブ「財政研究会」を通じ、日本の新聞社を自由自在にコントロールしている。財務省と新聞社の結びつきは本当に深い。結果的に、財務省の方針にそむく政権は、全ての新聞から総攻撃を受けてしまうのだ。(中略)》 (p123-p125)


そういう仕組みかあ。文中の「今回の事件」というのは毎日新聞のアレのことですが、こりゃあまいったなあ。
と、マスコミにヒドさを改めて知ることができてありがたかったのですが、基本的に経済方面の知識が根本的に欠けている賽の目にとっては、サブプライムローン問題の説明など、大変分かりやすくてこちらもありがたいです。

サブプライムローンとは、アメリカの低信用層に向けた住宅ローンのことだ。日本の場合、そもそも銀行は低信用層向けに住宅ローンを提供しない。ところが、アメリカの金融機関は高金利な住宅ローンを低信用層に提供し、その債権を集めて別の債権と組み合わせ、さらに別の債権を創り出せば、リスクは減ると考えた。これが金融工学に基づく証券化商品生成の仕組みだ。しかも、アメリカの金融機関はサブプライムローンを含む証券化商品を、世界中に転売していった。危険な債権を他国に押し付け、自分たちはリスクを回避しようとしたわけだ。結果、アメリカ一国のローン問題が、世界中に拡散してしまったのだ》

アメリカの金融機関は、サブプライム層に住宅ローンを提供するときに、オプションARMというオマケを付けた。オプションARMとは、数年間は利払いや元利払いを免除するというものだった。将来的に、オプションARMが終了すると、サブプライム層が住宅ローンの元利払いができなくなると、みんな分かっていた。とはいえ、アメリカは昨年まで不動産バブルの状況にあった。住宅価格が値上がりしている以上、オプションARMの期間が終わり、住宅ローンの返済が不可能になっても、住宅を売却してしまえば「儲かる」とみんなが考えたのだ。ところが、現実はそんなに甘いものではなく、不動産バブルはかつての日本同様に普通に崩壊した。結果、サブプライムローンの延滞率が急上昇し、これらのローンを含んだ証券化商品までもが「不良債権化」したのだ。しかも、証券化商品を保有していた債権者は世界中にいる。住宅ローンの証券化サブプライムローンのオプションARM、アメリカの不動産バブル崩壊、オプションARMの終了。これらの要素が組み合わさり、現在の混乱が始まったわけだ》(p114-p116)


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と松実玄さんばりに納得しましたが、まあ半分もわかっちゃいないんですが、大丈夫、なんとなく分かった!
まあ三橋貴明さんは、やたら本を出してるから、図書館に行って何冊か借りてくればなんとかなるでしょう。

そして次が中野剛志「国力とはなにか」(副題:経済ナショナリズムの理論と実践)。
以前、YoutubeでTPP問題についてテレビでブチ切れてた動画を見てこの人に興味を持ったワケですが、この本も面白かった。

「経済ナショナリズム」という、一見かなり剣呑に見える言葉を、まず「国民(ネイション)」と「国家(ステイト)」と2つの概念を区別した上で、「ナショナリズムとは、読んで字のごとく、「ステイト」ではなく「ネイション」に対する忠誠心だからである。経済ナショナリズムは、あくまでナショナリズムの一形態なのだ」とする(p78)。ナショナリストは国民第一に考えてますよーってことだね。

その上で「かし、だからといって、ステイトを無視してよいということではない。逆に、ステイトもまた、経済ナショナリズムにとって重要である。なぜなら、ネイションに益する経済政策を策定し、実施する主体は、ステイトだからだ。したがって、実践においては、経済ナショナリズムは通常、国民国家(ネイション・ステイト)と結びつくことになろう」(p80)と、ステイトに対するフォローも忘れない。上手いなあ。

初期に起きた軍事革命は、戦争を、貴族間の紛争から「人民の戦争」へと変貌させた。十八世紀以降、地政学的対立は、階級の相違を越えて、人々の生活のあらゆる側面に深く関係するようになった。人々は、納税者そして兵士として軍費を負担しなければならず、その見返りに利益を要求した。国家は、人々を戦争に動員するため、大衆の支持を獲得し、人々を「国民」として組織し、国家への忠誠心を高める必要があった。国家は戦争を行うため、人的そして経済的資源を動員するためにナショナリズムに訴えた。要するに、近代の軍事力は、ネイションの力としての「国力」に依存しているのである。(p149)

ここらへんがナショナリズムという言葉に忌避感を持ってしまう原因なんでしょうねえ。
「ネイション」と「ステイト」を厳密に区別したのには理由があって、「経済ナショナリズム」と「国家資本主義(ステイト・キャピタリズム)」を区別させるためだということが、本書の後半で明らかとなります。

経済ナショナリズムは、ネイションの維持と発展を目的とするナショナリズムの一種であり、「ネイションの能力」としての国力の強化を目指す政治経済思想である。これに対し、国家資本主義は、ネイションの利益ではなく、ステイトの財税収入目的とするものであり、国営会社や政府系ファンドといった組織や制度を通じてステイトの支配力を強化し、世界市場から富を獲得しようとするシステムである。(p234)


国家資本主義国家の例として、中東やロシアを挙げてますが、さらにアメリカもまたこの国家資本主義体制になっていると指摘しています。マジか~。

 中東や中国などの国家資本主義は、ネイションの利益のためでなく、王族や一部の特権階級の利益のためのシステムであるが、その意味では、アメリカの資本主義も、実は同じ構造にある。アメリカ経済は、アメリカの一般国民のためではなく、ステイトと癒着した巨大金融機関の利益のためのシステムとなっているからである。アメリカの「民営化されたケインズ主義」は、まぎれもなく国家資本主義の一形態である。
「ネイションの能力」を目的とする経済ナショナリズムとは異なり、国家資本主義は「ステイトの支配力」を追求する。そのため、国際社会における国家資本主義は、国内の生産能力を高めるよりも、他国や市場に対する支配力を強化することで、富を増やそうとする。まさにアメリカの振る舞いである。(p236 太字は引用者)

ここがキモなんでしょうなあ。同じく国力を増強するといっても、

 ・経済ナショナリズム→ネイション(国民)の能力を増強
 ・国家資本主義→ステイト(国家)の支配力を増強

と、二筋縄があると。中国やアメリカがやってるのは経済ナショナリズムでもなんでもないぜってことですな。うん、これは確かに見分けにくい。国民の為にやってるのか、国家の為にやってるのか。これを意図的に混同して右翼(侵略者・軍国主義者)呼ばわりするんだなあ、あの人たちは。

この二筋縄の考え方は財税論にも違いがはっきり出てくることを(健全財税論と機能的財税論)、現在の日本を例に挙げて説明しています。

 例えば、現在の日本は、政府の累積責務が国内総生産の200%近くに達しているが、他方で長期にわたるデフレ不況と高い失業率に悩まされているといった状況にある。こうした中で、健全財税論者は、累積債務の規模の大きさをもって政府支出の削減や増税を唱えるだろうし、現に唱えている。これに対して、機能的財税論者は、デフレと高失業率の方を問題視して、財政出動がむしろ足りないと判断するだろう。機能的財税論者の関心は、国家予算の数字の上での健全化にではなく、国民経済の健全化に向かっているのである。(p192太字は引用者)

面白いなあ。国家(ステイト)の立場にあった場合、借金があるのが困る。だから健全な家計を営めるよう、借金を減らそうとする。一方、国民(ネイション)の立場にあった場合、ステイトはネイションのためにある存在であり、それゆえステイトの財政とは、ネイションの富の一部とみなされる(p194)。国民が国家に金を貸してやってるんで、借金だなんてとんでもない! 「日本の国債は膨大な額となっている。なにも知らない可哀想な子供たちに借金を背負わせてはいけない」という発想は、まさに国家側に立ったものなんですねえ。実に面白い。