賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

続・ヤマトダマシイとはなんぞや?

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画像は特に意味はありません。

どう考えても字数制限に引っ掛かりそうなので、新しく記事を更新。ぶっちゃけ自分の為に書いてるようなもんですので、あまり面白い記事ではありません。自覚はしてるんですよ? 勉強になったので忘れてしまわないよう、こうして記事にしてるんですねえ。なんともセルフィッシュな記事で申し訳ないっす。

と開き直ったところで引き続き「国力とは何か」(中野剛志)ですが、前回も書きましたように地獄の如き無知無知野郎の賽の目にとっては、こういったこれまでの経済政策の流れを簡潔にまとめてもらえると、とても助かりますね。



 1997年、橋本龍太郎内閣が財政構造改革と称して消費税増税財政支出削減を断行し、それ以降、日本はデフレに陥った。それにもかかわらず、2001年に成立した小泉純一郎内閣は国民の圧倒的な支持を受けて、公共投資を削減し続け、社会保障費の伸びも抑制するというデフレ政策を続けた。

 一方、積極財政は今なお評判悪く、特に財界やその意向を汲んだ経済ジャーナリストからは、公共投資や赤字財政に対する批判が続けられている。この財界による公共投資批判は、実は、企業がデフレで得をするという事実と関係している(な、なんだってー)。今からおよそ70年前、ミハウ・カレツキというポーランドの経済学者が、「財界が政府支出の拡大を嫌がる理由のひとつは、積極財政による完全雇用の達成が労働者の政治的・社会的地位を上昇させるからだ」と論じたことがある(Kalecki 1943)。おそらく、カレツキの指摘は、経済がグローバル化した今日には、いっそう強く当てはまる。公共投資の拡大で失業率が下がり、賃金が上昇すると、企業の国際競争力は低下するからである。緊縮財政と消費税増税によって内需は圧迫されるのだが、海外市場で稼ごうと思ってるグローバル企業にとっては、内需などは問題ではない

 我が国は、橋本内閣による緊縮財政のために、1998年以降、戦後の歴史では他国に類例を見ないデフレに陥った。それにもかかわらず、構造改革はその後、かえって加速したのである。例えば、1999年、労働者派遣事業が製造業などを除いて原則自由化され、2004年には、製造業への労働者派遣も解禁された。これにより企業は、人件費を容易に抑制できるようになった。2001年には、確定拠出型年金制度が導入されて、従業員は自己責任で年金を運用することになり、企業は従業員の年金に関する責任から解放され、リストラによる人件費の削減が容易になったのである(痛みに耐え切れず明日を放棄した人たちの魂よ、安かれ)

 2002年、商法が改正され、アメリカ的な社外取締役制度を導入して、外資による日本企業の買収を容易にする制度が成立した。05年には会社法が制定され、株式交換外資に解禁された。日本企業の外国人持株比率は、90年代半ばまでは一割程度であったが、構造改革が進められた90年代後半以降、外国人持株比率が上昇し、06年度には全体の約四分の一を占めるに至っている(関岡 2011)。この他にも、電力市場の自由化、金融ビックバン、行政改革郵政民営化、その他各種の構造改革が遂行された(やりたい放題やないか)。いずれも、競争の激化によるデフレ圧力を伴う政策であった。

 こうした一連の構造改革はものの見事に奏功し、2001年から06年までの間、輸出が拡大し、大企業の純利益率も急速に伸びた。大企業の役員報酬と配当も急上昇した(煽り、上手いなあ)。そしてその当然の帰結として、デフレは脱却できず、失業率は高止まりし、一人当たりの給与は下がり続け、労働分配率も低下していった(磯谷 2009:51)。株主利益の最大化を求める海外ファンドなどが増加し、株主への配当を優先する経営を求める傾向が強まったため、人件費が抑制されるようになったのである(川本・篠崎 2009) (p39-41太字は引用者、青文字は引用者の感想)


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まあなんですな、小○タヒね!ってことですかね。自民党の方々がこの時代をどう認識してるのか知りたいところです。さらに続けます。

 株主や企業の利益と国民との利益とが、大きく乖離しているのはもはや明らかであろう。グローバル化した企業は、2000年代に入って激化した国際競争を勝ち残るために、資金の引き下げやリストラにより人件費を圧縮しようとした。投資家もまた、企業の短期的な利益を増やし、配当を増やすため、労働市場の柔軟化による人件費の削減を望んだ。人件費の削減、すなわち賃金の低下と失業の増大とは、まさにデフレ不況にほかならない。グローバル化した企業と投資家は、デフレ不況を好むのである(Chang 2010:60)。
それにもかかわらず、我が国は、グローバル化した企業や金融機関、そして彼らの利益を代弁する経済学者やアナリストの求めに応じて、構造改革を進めてきた。その結果、我が国は見事にグローバル化したのである。そして、その当然の帰結としてデフレは長期化し、国力は衰退した(中略)。
こうして、日本政府は、国民の利益のためではなく、企業や投資家の利益のためにグローバル化を推進する装置となり果てたのである。(p40-41太字は引用者)

テレビに出てくる経済評論家の方々にまといついている尋常でない胡散臭さって、一体なんなんだろうと思ってたのですが、なるほどなあ。そういうことかあ、糞喰らえっすなあ。
国民の利益を追求する経済ナショナリズムの立場からすると、こういった日本政府の経済政策を到底認めることはできないと、そういうことなんですね。といいますか、一部の人間のためだけの利益を追求するシステムって、これはアメリカと同じく国家資本主義なんじゃないの?

 なぜオバマ改革は挫折したのだろうか。その大きな要員の一つに、ワシントンの政治が、ウォール街の金融機関によって支配されてしまっているということがある。
例えば、クリントン政権の財務長官ロバート・ルービンや、ブッシュ政権の財務長官ヘンリー・ポールソンは、大手金融機関ゴールドマン・サックスから登用された。ポールソンの前任の財務長官ジョン・スノーは、今は、サーベラス・キャピタル・マネジメント社の会長である。この他にも、ワシントンとウォール街との間には、幾重ものコネクションがある(Johnson 2009)。これでは、金融システム改革も貧富の格差の是正もできるわけがない。経済学者ジャグディシュ・バグワティはこの構造を「財務省ウォール街複合体」と呼んだ(Bhagwati 1998)。アメリカという国家は、グローバル化した金融機関に乗っ取られ、国民の利益よりも金融機関の利益を優先するようになっているのである。(p59-p60)


おいおい、日本の財務省は大丈夫なんだろうな? と不安になってきますが、前回の記事から引用させていただきますと、

特に、財務省記者クラブ「財政研究会」を通じ、日本の新聞社を自由自在にコントロールしている。財務省と新聞社の結びつきは本当に深い。結果的に、財務省の方針にそむく政権は、全ての新聞から総攻撃を受けてしまうのだ。(「真冬の向日葵」p125)

ダメだこりゃあ。
政府の暴走を監視すべきマスコミがこのザマですと、軍部からカネもらって戦意高揚を煽りまくってた戦前のマスコミと変わらないじゃあなイカ、と文句の一つも出てきますよ。

とまあ、たった2冊本を読んだくらいで、なにが分かるという話でもないのですが、その人が国民の利益を考えて行動しているのか、それとも一部の人間の利益を考えて行動してるのかを判断する材料をもらえたと思います。どういう人がTPPに賛成するのかとかね。

(続く・・・)