賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

ハワイと焔とご挨拶

豆鯛さんが書いてらっしゃるハワイ旅行記を、こっそり楽しませてもらっているのですが、ハワイというと、この前のヴァーティゴー・ツアーの最終公演がハワイでしたねえ、確か。
その前の日本公演があまりに楽しかったので、ハワイまでついて行こうかと当時真剣に検討したこともありましたが、一度は行ってみたいものであります。>ハワイ

もう一つ、ハワイというと意外なところで「Pride」とつながりがあったりするのですね。
1983年に初の日本公演が行われたのですが、その前に彼らはハワイでもライヴをおこなっており、そのサウンドチェックの際に、Prideのメロディを発掘したと、ロッキング・オンの「THE U2 FILE」で述べております。「アイランドの連中は俺たちをしょっちゅうハワイに連れて行くべきだよな」というアダム様のセリフが可笑しいです(p148)。
U2 BY U2」ですと、ボノさんがもう少し詳しく、当時のことを語ってくれています。


僕らは、このツアーでハワイにも行き、ショウを行った。あんなにエキゾチックな場所は初めてだったよ。故郷からは随分と離れた場所だった。カハラ・ヒルトンには1万ドルもするワインがメニューに載っていた。このホテルにはロナルド・レーガンが滞在したばかりだった。
「どうしてイルカが僕の窓のわきをジャンプしているんだ」と考えていたのを憶えている。そのホテルは海峡を泳いでいるイルカが見られるように建てられていたんだ。新しい事態に適応しないカルヴァニズム信望者の僕にとって、それは世の終わりだった。
これ以上悪いことなんかないと思えるレベルだった。僕は自問していた。「どうして僕はこれを楽しめないんだ? どうして嫌な気分になっているんだ? 本来だったら楽しむべきことなのに」。それはおそらく、あれが文化の湾曲だったということ、僕が成功とはいかに不合理なものであるかに慣れてなくて、それに対する答えを模索していたからなんだろう。
その答えとは、自分のやるべきことを見失うことなくマーティン・ルーサー・キングについての歌を書くということだった。そして、僕らは書いた。「Pride In The Name Of Love」は、ハワイでのサウンドチェックから出来上がったメロディとサビから作られた曲だ。
その頃、僕はアメリカでのバンドの成功に極めて重要な役割を果たしてくれていた『ローリング・ストーン』誌のジャーナリストと出会った。彼の名前はジム・ヘンケといって、彼は僕にドクター・キングの伝記本『Let The Trumpet Sound』とマルコムXの本をくれた。
この2冊は公民権論争や暴力と非暴力の異なった側面を描いていた。僕にとって重要な本だった。次のアルバムは、人間の、同じ人間に対する残酷さや、窓の外を泳ぐイルカのことを考えながら、ハワイでスタートしたんだ。(p145)


・・・はっ、少しだけ引用するつもりだったのに、ボノさんの言葉に引き込まれて、長々と書いてしまった。あまり長文ですので、改行を施してあります。
うーむ、「」というアルバムは、こんな風にハワイからスタートしたのですなあ。そして、ようやく、よ~やくリマスター「焔」の日本盤が発売されたようですので、これで辛抱強く発売をまっていた皆さんの(ワタシは我慢できず輸入盤を購入しました)感想を聞かせていただけるワケですよ。楽しみ~。


ということで、2009年はお世話になりました。2010年もよろしくお願い致します。





Pride In The Name Of Love (U2)