賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

音楽とマンガ

そういえばメタリカにもOneって曲がありましたね。

メタリカで最初に聴いたアルバムが「メタル・ジャスティス」でしたから、この曲は良く聴いてたなあ。まあどうでも良い話なのですが。

前回の記事の続きでして、と言いますか、前回の記事は、前振りだったはずなのですが、書いてくうちにどんどん長くなってしまったので、前振りじゃなくなってしまいました。今回が本題。

マンガと音楽、というより、「マンガで音楽を表現できるか?」という命題は、数多くのマンガ家さんが試みているのですが、結論からいうと「不可能」ではないかと(笑)

不可能ということが分かっていながら、それでも挑戦してしまいたくなる、ということに、この命題の妙味があると思います。なぜチャレンジしたくなるのか。

マンガ家さんにとって、マンガを描く場合、もっとも苦しんでいるのが「ネーム」であることは、マンガ家さんを主人公にしたマンガを読んでいると、なんとなく分かります。 ネームさえできればこっちのものみたいな雰囲気がありますね。

ええと、極端に話を端折りますと、マンガ家さんにとって音楽というのは「ネームのないマンガ」なのではないかと思うのです。はい、物凄く話を端折りました(笑)

音楽にネームはない。まあ、これはなんとなく、言わんとすることが伝わるのではないかと思います。音楽の極端な抽象性のなせる業であります。こういう風にマンガが描けたら良いだろうなあという思いが、マンガ家さんにはあるのではないかと、まあ、こう邪推しているのですよ。

マンガではなく、文章の問題で言えば、散文と詩のジャンルがあります。これをマンガに適用してみれば、マンガはほとんど「散文」で済ませることができますが、その性質上、いくらでも「詩的要素」を加えることができるジャンルだと思います。

いささか強引に腑分けしてみますと、「ネーム」の部分が「散文」に該当し、「絵」が「詩」に当たるということでしょうか。あくまで強引な類別ということで(笑)

勿論、「詩的なネーム」とか「散文的な絵」というものも、いくらでも思いつくのですが、それはどっちでも良くって(笑)、マンガの面白さの一つは、この「散文」と「詩」とのぶつかり合い、ダイナミズムにあるのではないかと、最近思ってます。

力関係でいえば、「散文」の方が圧倒的に強い。マンガがここまで普及したのも、この散文的力によるものでしょう。だがしかし、それだけではマンガはつまらない。どうしても、そこに「詩」がないと面白くない。作者にとっても読者にとっても。

まあ、「散文」「詩」を「メジャー」「マイナー」という風に置き換えてしまえば話は通りやすいかとも思うのですが、それでは簡単でつまらない(笑)。「このマンガは売れ線を狙い過ぎてて面白くない」というより、「このマンガが面白くないのは詩がないからだ」と言う方が格好良いじゃないですか(笑)

さて、音楽的なマンガということを、詩的なマンガと言ってしまうのもアリではないかと思いますが、そう言ってしまうと、詩は何と言っても「言葉」でありますので、どうしてもネームの方に目がいってしまいます。「詩のような絵だ」というのは、ちょっと言いにくい。やはり「音楽のような絵だ」と言う方がしっくりくるのであります。

音楽的、と書きましたが、これをロック的と限定すると話が一層ややこしくなるのですが、ロックには歌詞があります。
「歌詞なんかなくたって全然問題ないっ」というのは全然アリなのですが、どうしたって「彼が何を歌っているのか」という、言葉の問題が出てきます。

仮に、ギター=詩、歌詞=散文としますと、ロックではマンガとは逆に詩が圧倒的に強いジャンルといえます。逆の場合は一般に歌謡ロックと、馬鹿にされてしまいます。

何十年か前、「ロックを日本語で歌うことの是非」について、かなりの議論があったようなのですが、ロックの場合も、マンガと似たような(でもまるで違う)「詩と散文」のダイナミズムがあるような気がします。マンガとロックの親近関係。

ええと、例によって、まとまりのまるでない文になりましたが、要は面白いマンガには、「普通に面白いマンガ」の他に、「普通どころじゃない面白いマンガ」もあるということを強調したかったのですよ。

「普通に面白いマンガ」に関しては、感想も書けるし、レビューだってできちゃう。なにが面白いかということに関しては、なんの不思議もありません。
だが、「普通どころじゃない面白いマンガ」に関しては、これはお手上げと言わざるを得ない。「惚れたが悪いか!」と太宰治的に開き直るしかない(笑)

不幸にも、そういうマンガに数多く出会った人は、往々にしてマンガオタクと化してしまうのですねえ。不幸なことです(笑)

ワタシの場合、そういうマンガを読むと、頭の中で音楽が聞こえてきます。
より正確には、マンガから流れてくる音楽が、頭の中で反響しているというのでしょうか。

マンガに感動するというのは、大抵は「内容」に感動しているのですが、この場合は「形式」に感動しているというのでしょうか。マンガという形式に感動しているのです。これは音楽を聴いて感動するのと、とても良く似ている、と思います。

具体形に作品名を挙げると、「蟲師」(漆原友紀)の「瞼の光」とか、冬目景の「サイレンの棲む海」とか、橋本みつるの「犬ケガ」(「夢を見る人」に収録)とか、最近ですと「ヘレン.esp」(木々津克久)の「ヘレンとヴィクター」がそうですね。今挙げたうち、半分ほどは単行本未収録作品なんですが(笑)

こういう作品に出会うと、マンガ読んでて良かったなあと、しみじみ感じます。ただ、それを上手く言葉で言い表すことが難しくって、人に伝えられないのが、とても残念です。そうか、批評家というのは、そういう作品を語るために存在するのですね。マンガ界にもマンガ批評家というべき人が出てくるといいですねえ。

ブログがこれだけ普及し、マンガを語り伝える人達が、昔よりはるかに多くなってきている現在、その中から、「語れないマンガを語れる人たち」の出現を心待ちにしております。