No Line On The Horizonについてとりとめもなく
アルバム『No Line On The Horizon』の中で、最も僕が異質に感じた曲は「No Line On The Horizon」だった。
生演奏を聴いてみると、見事なまでにU2であったのであるが、最初にNLOTHを聴いた時の違和感はハンパなかった。ZOOROPAを最初に聴いた時と、ちょっと似てるかも(笑)
生演奏を聴いてみると、見事なまでにU2であったのであるが、最初にNLOTHを聴いた時の違和感はハンパなかった。ZOOROPAを最初に聴いた時と、ちょっと似てるかも(笑)
あの違和感はなんだろう? 異様なエネルギーを感じるが、それがいつものU2のような、心から心へと、まっすぐ届くような直線的なものでなく(It's not linear!)、いささか謎めいた、ややもすると人もなげな風情すら感じさせるからであろうか?
NLOTHが発売された頃、ボノさんがアイラインを施していたのが思い出される。ある種の邪悪ささえ見え隠れする、このファッションは、NLOTHという曲に対するボノさんの率直なリアクションなのではあるまいか。
邪悪さ、というのは無論、馬鹿げた表現であるが、そう言いたくなる傍若無人さというものが、アルバムの中にいささか混入されてるように僕は感じた。それが前2作のアルバムには存分に感じられた「親密さ」が、このアルバムには欠けているように思えてしまうのだろう。ライヴを観ればそういうのは一掃されてしまうのだろうけれど。
なんとなく、U2のインタビューは読まないようにしているので、彼らがNLOTHというアルバムに対して、どのような印象を持っているのか、全然知らないのだけれど、ボノさんが今年中にもう一枚アルバムを出したいとコメントしていたそうで、それは大変興味深い話だと思った。
NLOTHというアルバムは、全体にムラがあるイメージを僕は持っている。調和が感じられない、というのは、いくらなんでも大仰すぎるか(笑)。某雑誌のレビューでこのアルバムを「偉大なる失敗作」と評して、色んなところでブーイングを浴びせられてたようですが(笑)、言わんとすることは、なんとなく分かる気がする。
ボノさんがもう一枚出したいというのは、そういう気持ちの表れかもしれない。「ダイヤモンドの鉱脈を発見したから、アルバムの発売をもう少し延ばしてもらいたい」と言ったのは去年の10月か11月くらいではなかったっけ。あまりにも急すぎた。むしろ発見したダイヤモンドを研磨するのは、次のアルバムからでも遅くはなかったのではあるまいか。いかにもU2らしいエピソードではあるけれども。
あれはひど過ぎたね。いいかい、アルバムのマスタリングの 真っ最中だっていうのに、イントロを変えたいときたんだよ。 「なんか考えでもあるの?」って感じだったね。 そしたら渦だっていうんだ。あいつらが思いついたのは “渦”みたいな音だって。いいかげんにしろだよ、まったく!(ハウイー・B)
「U2ダイアリー」からの一節ですが、U2のアルバムのプロデューサーにはなりたくないものです(笑)
「君たちはツアーで演奏してからレコーディングした方が良いね」と、初期三部作を制作中、スティーブ・リリィホワイトが冗談半分に言ってたそうだが、実際、ライヴでどんどん、その曲の本質が露わになっていくのがU2なので、現時点では、NLOTHは僕には不可解な部分の多い謎のアルバムだ。そう、まったくもって“五里霧中“と言える(笑)
「君たちはツアーで演奏してからレコーディングした方が良いね」と、初期三部作を制作中、スティーブ・リリィホワイトが冗談半分に言ってたそうだが、実際、ライヴでどんどん、その曲の本質が露わになっていくのがU2なので、現時点では、NLOTHは僕には不可解な部分の多い謎のアルバムだ。そう、まったくもって“五里霧中“と言える(笑)
明らかにこの本の問題は芸術の種類にはない、芸術自体にすらない。彼に気懸りだったのは、歌や交響曲ではなく、洗濯女やベエトオヴェンである。ワグネルのオペラの美醜でも真偽でもなく、そんな大げさの見せ物に、そんなにお金がかかるのがいいことか悪いことかということだ。(小林秀雄「トルストイの「芸術とはなにか」」より」)
今も、U2が気にかけているのは洗濯女の方だとは思うのですが、一抹の不安を覚えていたりもする。この不安がある限り、このブログをU2ファンブログと称していいのか、怪しい気がして、最近はU2ファンブログにお邪魔するのも気が引けてしまったりもするのですが(ナイーブ過ぎるぜ)、なにはともあれ、U2のライヴを観てからでありましょう。
とりとめもなく、終わらせていただきます。そっかあ。そういう風に考えてたのかあ、自分。