賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

続・電撃大王8月号感想

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狼と香辛料」を買いました・・・・
このままワタシは、株式会社アスキー・メディアワークスの思うがままになってしまうのでしょうか・・・いやいや、大丈夫、大丈夫。まだまだ俺は余裕あるよっ!

・・・・この男の思考
ラノベではこういう考えが一番危ない
まさに地獄に直結する道
とらドラ、田村くん、狼と香辛料、と来たから
もうラノベにハマらない…などという読みは
まさに泥沼





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とか、カイジごっこしてる場合じゃないです。いや実際面白かったんですよ。今月の電撃大王に掲載された、森山大輔の読切が、なににインスパイアされたのか、なんだかオイラ、ピンときちまったぜ~。
まあまあ、少なく見積もっても、アフタでやってた「くじびきアンバランス」よりかは、全然面白いよな。まったく、あんなマンガ読ませやがって、木尾士目、許すまじだぜ。

それはともかく、中世のヨーロッパの世界というのも、なかなか面白そうですなあ、阿部謹也とか読まなくっちゃ~・・・と言いますか昔、酔月亭さんの記事に、この人のことが書いてあったから、読まないと! とか思いつつ今まで全然読んでなかったりするですが(読めよ!)、ようやっとね、ちくま文庫から出ている「自分のなかに歴史を読む」という本を読んだんですよ。
中高生向けに書かれた本ですから、ラノベ大好き、精神年齢10代の賽の目クンでも、全然読めるぜっ!

「解るということはいったいどういうことか」という点についても、先生はあるとき、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」といわれたことがありました。それも私には大きなことばでした。もちろん、ある商品の値段や内容を知ったからといって、自分が変わることはないでしょう。何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、「解る」ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのような「解る」体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだとも思えるのです。(「自分のなかに歴史を読む」22ページ)

うむっ、実によく分かるな! 「分かる」ということは自分を否定することだ。「分からず屋」というのは、自分を過度に守る人のことだ。自分自身を壊していかないと、理解することができないのだなあ。break myself!

160ページには、「文明として熟していない日本」と、書いてあるのですが、う~ん、「文明=グローバリズム」ということなのかな? まあ、違うな。
今、「ユング自伝」という本を読んでおるのですが、むつかしいところはすっ飛ばして、分かりやすいところだけ、面白く読んでいるのですが、9章の「旅」が、読んでて大変楽しいですね。
アフリカ旅行の記述が、ことに印象深いのですが、一番面白いと思ったのは、アメリカで出会った、オチウェイ・ビアノというネイティヴ・アメリカンとの問答でした。

 オチウェイ・ビアノは「見てごらん、白人がいかに残酷に見えることか」といい、「彼らの唇は薄く、鼻は鋭く、その顔は深いしわでゆがんでいる。眼は硬直して見つめており、白人たちはいつもなにかを欲望している。いつも落ち着かず、じっとしていない。われわれインディアンには、彼らの欲しがっているものが分からない。われわれは彼ら白人を理解しない。彼らは気が狂っているのだと思う」といった。
 どうして白人たちがすべて狂気なのか、私は尋ねた。
 「彼らは頭で考えるといっている」と、彼は答えた。
私は驚いて、「もちろんそうだ。君たちインディアンはなにで考えるのか」と反問した。
 「ここで考える」と彼は心臓を指した。

頭だけではなく、心臓(ハート)で考える」というのは、ボノさんもVertigoツアーの頃、よくパフォーマンスしてましたが、実際問題、なかなか難しいですねえ。どうしてもアタマで考えてしまうんだよなあ。頭だけで考えた、理路整然とした、しかし全然心が動かされない文章にはウンザリしてるんですけどねえ。

ドナルド・キーンの「日本人の西洋発見」などを読んでいると、昔の日本人がどういう具合に西洋の文物に相対してきたのか、本多利明など、さまざまな人物を取り上げて簡潔に紹介されていて、大変興味深いのですが、アフリカ関連の本を読んでいると、どうしてもワタシたちのご先祖サマたちの苦心惨憺を、思い起こしてしまいます。富国強兵というのはグローバリズムなんだなあ・・・・・・




こんばんわ、この記事が電撃大王の感想を書くために更新したのだと言うことを、すっかり忘れていた賽の目です!

だってだって、同じようなマンガばっか並んでて書くことなんかないじゃないっすか~。金太郎飴か、この雑誌は。

そんな次第で、今回は「イエスタデイをうたって」(冬目景)が月一で掲載されてるビジネスジャンプなどについて触れておきたいのですが、ほほう、イエスタの画集が出るのですか。
今年の夏はフジロック行ったりサマソニ行ったり、コミケ行ったり、ボノさんが出てくる映画を観たり、U2の初期三部作を購入したりと、出費がかさみまくる時期ですので、正直もうちょっと後にして欲しいなあと。まあどうせ発売日初日に購入しますが。くっそう、銭ゲバ姐さんに足元見られまくりだぜ!

それにしても、ビージャンは電撃大王とは逆に、バラエティーに溢れすぎですね。15号なんて、イエスタデイをうたって→ノエルの気持ち(山花典之)→世にも奇妙な漫☆画太郎ですよ。その次が「島根の弁護士」(あおきてつお)ですよ。世にも奇妙な掲載順ですよ。ある意味アフタヌーン以上に混沌としてるなあ。それでいて極めて俗っぽいというか、生臭さは充分持ってるという、相変わらず読者層をどこら辺に求めてるのか、皆目見当がつかない誌面作りで、いっそ嬉しくなりますよ。休載だったけど、「傷だらけの仁清」なんてのもあるしなあ。本当に方向性が分かりませんです。

人食いヒグマが出てくる新連載(「シャトゥーン」)とか、200万円するワインを、下卑た形容まくりのワインマンガ(「ソムリエール」)とか、しみじみと俗っぽいってか、脂ぎってるねっ☆ 毎度のことながら、冬目景が浮きまくりでございます。このマンガは、連載始まってから随分経ちますが、本当に十年一日が如しですねえ。それでも一応、登場人物は着実に歳を取ってるから、それなりに進展はしているのかな、多分。1巻ではリクオの奴、ちゃんとシナ子に告白してるんですよね。→■

それなのに、ああそれなのに、それ以降、連載も10年になんなんとするとゆーのに、まだ手も握ってないって、どういうことよ。今月の電撃大王で、スパッと告白した「とらドラ!」も、今後はイエスタ並に進展しなかったりするのでしょうか。イヤだなあ。
しかし、久しぶりに「イエスタデイをうたって」の1巻を読み返しましたけど、





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・・・えっと、どちら様でしょうか?
あなたは変わり過ぎですよ、シナ子はん。髪がロングだった頃のシナ子は、モロにストライクど真ん中だったのになあ。そりゃリクオも惚れますよ。ヒロインがどんどん幼くなるって、そんなトコまで「めぞん一刻」の真似をしなくてもいいのになあ。1巻の頃の管理人さんは、ケバかったねえ。

そういえば、「羊のうた」の八重樫葉が、途中からキャラが変わってしまったように見えたのは、当時エヴァンゲリオンが流行ってて、それと一緒にされるのがイヤだったとか、インタビューでのたまってたそうですが、だからって、完結してもいないマンガのキャラの性格をいきなし変えるこたーないじゃないですか。非常識にもホドがあるよ! 綾波レイ、許すまじ!(え?)


そんな残酷な天使のテーゼはさておきビージャンですが、ワタクシ基本的に、グルメマンガというのは、苦手というかむしろキライでして、読んでると「君たちは食べるために生きているが、僕は生きるために食べている」とか、ソクラテスみたいことを言ってやりたくなるのですが、「ばりごく麺」(能條純一)は素直に楽しめます。
題材がラーメンという、極めて親しみやすいものだからということもありますが(ラーメンが嫌いな男子なんていません!)、この作者さんは、言葉の使い回しが、いつも印象的で面白いですね。

印象的といえば、「爆麗音」(山田秋太郎)を読んで思い出したのですが、奥様、知ってました? ヤングジャンプで今、「特攻の拓」の続編が連載されてるんですのよ~! んま~お下劣っ(なぜ?)。
そのうち“不運”(ハードラック)と“踊”(ダンス)っちまう(=打ち切り)のではないかと思うのですが、21世紀にもなって、こういうマンガが読めるっていうのも、また乙なものだなと。みんな本当にヤンキーが好きなんだな。

と、結局まったく記事のタイトルと関係ない話に終始してしまいましたが、睡眠時間を削って更新したのですから、そこはそれ、生温かく見逃していただきたいなって。もう寝ゆ~。