賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「人生の鍛錬」を読んだ。

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ほー! こういう本が出ていたんですなあ。ブックオフで見かけて買ってしまいましたよ。
ワタシも昔、小林秀雄語録みたいなのを、自分のHPでまとめてみたことがあるんですけど(途中で挫折)、そういうことをしたくなってしまう魔性なところが、この人の文章にはありますね。
一応、この人の本は大体目を通していたツモリなんですが、それでも見落としてた文章が色々あって、う~ん、まだまだだねと。
そんな文章を一部、抜き出してみます。はい、もろに自分のためです(笑)



凡そものが解るという程不可思議な事実はない。解るという事には無数の階段があるのである。人生が退屈だとはボードレールもいうし、会社員も言うのである。(11ページ)

どうか、柔軟な心という言葉を誤解してくれない様に。これは、確固たる意志と決して抵触するものじゃない。(27ページ)

感心することを怠りなく学ぶ事。感心するにも大変複雑な才能を要する。感心する事を知らない批評家は、しょっ中無けなしの財布をはたいている様なものだ。(42ページ)

恋愛とは、何を置いても行為であり、意志である。それは単に在るものではなく、寧ろ人間が発見し、発明し、保持するものだ。だから、恋愛小説の傑作の美しさ、真実さは、例外なく男女が自分等の幸福を実現しようとする誓言に基くのである。(66ページ)

若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。すると必ずその他には何を読んだらいいかと言われる。他に何にも読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。だが嘗て僕の忠言を実行してくれた人がない。実に悲しむべきことである。あんまり本が多すぎる、だからこそトルストイを、トルストイだけを読み給え。文学に於て、これだけは心得て置くべし、というようなことはない、文学入門書というようなものを信じてはいけない。途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものに先ず触れて充分に驚くことだけが大事である。(160ページ)

私は、本屋の番頭をしている関係上、学者というものの生態をよく感じておりますから、学者と聞けば教養ある人と思う様な感傷的な見解は持っておりませぬ。ノーベル賞をとる事が、何か人間としての価値と関係がありましょうか。私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷って途方にくれている人の方が好きですし、教養ある人とも思われます。(171ページ)

死は、私達の世界に、その痕跡しか残さない。残すや否や、別の世界に去るのだが、その痕跡たる独特な性質には、誰の眼にも、見紛いようのないものがある。生きた肉体が屍体となる、この決定的な外物の変化は、これを眺める者の心に、この人は死んだのだという言葉を、呼び覚まさずにはいない。死という事件は、何時の間にか、この言葉が聞える場所で、言葉とともに起っているものだ。この内部の感覚は、望むだけ強くなる。愛する者を亡くした人は、死んだのは、己れ自身だとはっきり言えるほど、直かな鋭い感じに襲われるだろう。この場合、この人を領している死の観念は、明らかに、他人の死を確める事によって完成したと言えよう。そして、彼は、どう知りようもない物、宣長の言う、「可畏き物」に、面と向って立つ事になる。(233ページ)


この、句読点の多さは、クセになるな。