賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部」(酒見賢一)を読む

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マンガばかり読むようになると、小説なんて、てんで読まなくなってしまうものですが、久しぶりに小説を読んだんですよ。ヴォルテールという人の「カンディード」って本なんですけど、面白かったです。

いやこれ、マンガにしましょうよ。

マジで。これはマンガにしたらヒットするんじゃないかなあ。コミックシルフ、やってみない?
ラノベのコミカライズもいいけど、こっち方面でも攻めてみましょうよ。

この世でもっとも善良な人間であるカンディードが、ヨーロッパを股にかけて大冒険するんですけど、テンポがね、すごくいいんですよ。
主人公が、死んだと思われていた恋人(キュネゴンド)の兄と再会して、涙を流して抱擁した、その2ページ後に、その兄を刺し殺してしまうのですから、波瀾万丈にも程がある

日本に対する言及も、2箇所ほどあって、その一つには、

唐変木奴!」と相手は答えた。「おいらぁ船乗りだ。バタヴィア生れだ。日本に四度行って、四度踏絵を踏んできた男よ。てめえの道理なんざ、とんとお門違いだ!」

なあんて言ってるんですけど、この当時から日本の風習は、ワリとヨーロッパにも伝わっているのですなあ。
解説の方に、十八世紀のベスト・セラーズの1位はルソーの『新エロイーズ』で2位が、この『カンディード』だと、書いてありましたが、これならチョーさんも納得ですよ。今読んでも面白いですもん。



ということで、こんばんわ。Yahoo!ブログでもっとも善良な人間、賽の目です(ウソ)

どんなに苦境に陥ってもこの世界が最善であることを信じ抜くパングロス博士に萌え
じゃなくって、今回は、2年余の月日を経て、ようやっと2巻が出た、酒見賢一の『泣き虫弱虫諸葛孔明』について書いてみようと思います。
結構前に発売されてたんですけど、西尾幹二の『江戸のダイナミズム』にてこずっていて、なかなか読めなかったんすわ~。この本も面白かったんですけど、やはりこのページ数で一気読みはムリだったなと。
一番驚いたというか笑ったところは、荻生徂徠という人の『論語徴』を引用してる箇所で、「孔子はその位を得ず、その道を天下に行はず、匹夫を以ってその身を終れり」と書いてあるのを見た時。
おいおい、孔子サマを匹夫扱いしてるよ、このひたー。目が点になりました。すげえな江戸時代。

それはともかく、ええと、ワタシはもう本当に小説を読まなくなっちまってて、もはや出せば必ず読むという人は、現在では酒見賢一氏のみという、寂しい状況下にあります。
そんな次第で、久方ぶりの新作で、ワクワクしながら読んでみたのですが、1巻以上にかっ飛ばしてますなあ

跡目問題で苦悩している荊州牧・劉表の長子・劉琦が、孔明を強制的に密室に連れ込んで助言を求めるシーンでは、二人しかいない場面で、誰が、その話の内容を知るのというのか、とツッコミを入れつつ、

「人は愛をつむぎながら歴史をつくるのです。もしもふたり逢えたことに意味があるなら、だけどいつか気付くでしょうその背中には、遥か未来めざすための羽根があるのです。ほとばしる熱いパトスでこの宇宙を抱いて輝く、誰よりも光を放つ神話になればよろしいのです」
 悲しみがそしてはじまるのです、と、わけの分からない助言を与えた可能性を、良心的な研究者であればあるほど否定できないのだ。(122ページ)

と解説してますが、否定できるわい。なんでエヴァやねん。

とまあ、そんな感じで、諸葛孔明が「残酷な天使のテーゼ」をのたまったりするなど、ますますマンガチックな様相を呈してきましたよ。「マンガより面白い小説を書く」ことを身上とする酒見賢一ならではの三国志ですよ。三国志マガジンは一刻も早く、この作品をコミカライズしたまえ!

その一方で、歴史に対する醒めた視線、三国志にロマンを求める人々に対する皮肉な調子も、1巻に引き続き健在ですね。博望坡で、孔明夏侯惇軍を殲滅した場面について、

談笑しながら鬼神も目を背ける大量殺戮を指揮するというのが、後世の人が理想とした孔明イズム、いかにも孔明らしい異常性である。(82ページ)

と、バッサリ斬り捨ててますな。まったく『時の地平線』の孔明を見習えと言いたいです。
三国志演義における、孔明の異常性に対する嫌悪の念、というのは、『蒼天航路』(王欣太)にも厳然とあって、蒼天孔明があんなにも変態なのは、どうもそれによるものらしいです。
泣き虫弱虫諸葛孔明』での孔明のヘンタイっぷりも、蒼天孔明に近いものがありますが、こちらは主人公として、どんと居座っている分、手が付けられないものがあります。蒼天孔明のヘンタイ性に、蒼天曹操の無敵モードが加味された状態、と申せばお分かりになるでしょうか。うわ~。

そして、その被害をモロにかぶってる実弟諸葛均くんが、2巻でも一層悲惨な状況に置かれていて、いやもう、ひとひら』の主人公・麦に、まさるとも劣らぬ萌えキャラになってますよ。簡雍からムリヤリ漢教育(という名のセクハラ行為)まで受けちゃってますよ。どこまで堕ちるんだ、均くん!

まあ、均くんのことはさておきまして、ゲラゲラ笑いながら読了しましたが、思い起こせば、この人との付き合いは(会ったことないけど)、1989年に第一回ファンタジーノベル大賞受賞作である『後宮小説』を読んだ時からなのですな~。爾来、この人の作品は全て読んでますよ。U2よりも長いお付き合いっすわ~。

あの頃はファンタジー小説が好きで、なんか色々読んでまして、当然この賞にも関心があったのですが、しかし記念すべき第一回の受賞作のタイトルが「後宮小説」ですよ。受賞作は必ずアニメ化されるのですよ。この作品を大賞に選んだ選考委員の方々の英断に、心から敬意を表します。

酒見賢一が、なぜこの賞に応募したのかというと、それは当初、選考委員に手塚治虫の名前があったかららしいですね。手塚ファンだった酒見賢一氏なのですが、残念ながら手塚治虫は1989年に死去してしまったのですが、この『後宮小説』を手塚治虫が読んだら、どうコメントしたのか、知りたかったですね。

処女作には、その作家のすべてが内包されている、とよく言われますが、この処女作『後宮小説』(なんか、いかがわしいな)も、今読んでみると、本当にみんな入ってるなあと思いました(ちなみに江葉が結構な萌えキャラであることを、今頃理解しました)。

「華麗なる王朝絵巻」などという言葉がある。現代の商業主義が作り出した言葉であるに違いない。古来、宮廷とりわけ後宮では血で血を洗う、生臭い争いが繰り広げられてきた。嫉妬、淫欲、寵愛争い、継嗣をめぐる確執、後宮の権力闘争沙汰は日常茶飯事であった。

と、すでに歴史に対する醒めた視線がありますね。「ロマンチックな愛はあきらめたよ」的なところが、処女作から見られます。ちなみにこの人は1963年生まれで、大体ボノさんと同じ世代ですな。

そう、酒見氏はワタシとは一回り上の世代なんですが、それでもデビュー当時は衝撃的でした。
小説なんていうのは、星新一とか、小松左京とか、神様みたいなエラい人が書くものだと思ってたもんですから、自分よりほんの10歳ほど年上の人が、小説を書いて颯爽とデビューしたことに、本当にビックリしました。
マンガが好きというところなどがそうなんですが、自分と同じ感性を持った世代(小説よりマンガの方が面白いと、衒いなく言える世代)の人が、小説家としてデビューしたものですから、興奮しましたねえ。

その後、エピクテトスピュタゴラスの話を書いたり、墨者の話を書いたり(『墨攻』)、10年くらい孔子の弟子である顔回の話を書いていたり(『陋巷に在り』)、そして現在はというと、なななんと三国志の話を書いてらっしゃるワケでして、う~む、実にワタシの興味とシンクロしていますなあ。もう一生ついていきます!(笑)

この人は、どこかの雑誌で、マンガも含めたレビューを執筆されてるそうで、それもいつか読んでみたいものです。文庫版『陋巷に在り』のあとがきでの、あの語りっぷりから推量して、さぞかし痛快なレビューなのではないかと思います。読みたい読みたい~。

そんな次第で、レビュー本とあわせて、諸葛均くんのその後が心配な『泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部』が出る日を、気長に待っている毎日であります。