賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

続々・少女マンガも読む

切れちゃった・・・_| ̄|○


保健室の美和子先生」(あきの香奈)。いや、なんか2ch谷川史子スレで紹介されていたので、ちょっと読んでみたのですが、面白うございました。
「教室のはじっこ」「おべんとの中にキス2つ」「プロデュース」も合わせて読んでみましたが、初期の頃の、古き良き少女マンガ的な、牧歌的な作品も、ノスタルジーをかきたてられて良かったのですが、後期作品になるほど、「苦が味」が出てきて、オジサンとしては、そちらの方が好みですな。

そういう意味では、「カンカン」が良かったですねえ。「どうしてなにをやっても、うまく行かないんだろう」とか、共感しまくりですよ。
本当に軽い気持ちで読んでみたのですが、買っておいて正解でした。紹介してくれた人、ありがとう(笑)





うむ、結局今回は少女マンガオンリーになってしまいましたな。
なんつうか、少女マンガってば、必ず「モト」が取れるんですよね。

最近のマンガは、どうもスカされることが多いんですが、少女マンガに限っては、いつもなんかしらの形でモトが取れる。「ああ、時間の無駄だった」ってのが、一番キツいワケですよ。だから少女マンガばかり読むようになってしまうんだろうなと。

じゃあ、なんでいつもモトが取れるのかなあと考えてみると、アレですな。singlemindなんですよ。最近覚えた言葉なんですが、「singlemind」とは、「誠実な, ひたむきの」という意味らしいです。いい言葉でしょ?
他のジャンルに比べて、少女マンガはすごくsinglemindだと思うんですよ。だからスカされないんですな。


小林秀雄の文芸批評に、「女流作家」と題するものがあって、その中で川端康成の、こんな言葉を引用している。


私が男であるから、次のように思うのかも知れないが、女の作品はどこか直接的である。なまである。
(中略)どんなに凝った文学の衣装をつけたつもりでも、おとぎばなしの『裸の王様』のように不用意である。
そういう風に心の肉体ができているのではないかと思われる。


さすがノーベル賞作家は言うコトが違うぜ!と感心してしまったのですが、石田敦子とか二宮ひかるなどを挙げるまでもなく、そうなんだなあ。みんな直接的なんだなあ。ウソなんかつかれてもツマらないのですよ。退屈ですよ。

そういった直接的なところを『女性的』と称するなら、物語を語る上で、女性的な資質は必須なんじゃないかと思う。どうしてもオトコは、リクツから入っていくところがあるからなあ。難しいところです。タフなマインドとガラスのハートを、両方持っていることが大事なのですな。お、うまくオチがついた(笑)