賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

続・少女マンガも読む

後半です・・・さくっと終わらせますよ

子供は何でも知っている」(岩館真理子)。岩館真理子は、単純明快をよしとするワタシにとって、なかなかに手ごわいマンガ家さんなのですが、ふっふっふ、こんだけ読めば、慣れてきましたぞ~。
他に、「赤い淡い夜が好き」、「アリスにお願い」も読みましたが、大体において、この人の作品は、なにかが終わってしまった後から、物語が始まる傾向にありますな。

なにかがどうしようもなく崩れ落ちてしまった後、それでも生きている以上、「生活」を続けてゆかねばならない、そういった緊張感が常に冒頭から漂っているような気がします。
「赤い淡い夜が好き」に収録されている「冬の星が踊る」ですと、最初は順調な人生を送っているように見える新婚夫婦が、「実は自分達は兄妹なのかもしれない」という爆弾を抱えていることが最後に明らかになるのですが、普通は、それを最初にもっていきますよね。橋本みつるの短編(「背中をどうにかしてくれ」)みたいに。

ところが、この作者の手にかかりますと、もう結婚までしてしまって、取り返しがつかないところまで来てしまっている。「悲劇」ではなく、「悲劇」が終わった後を描くことに主眼を置いてるような、そんな印象があります。

などと書いてしまうと、何を今さら、エラそうに言うない!と叱られてしまいそうですが、初心者なんで勘弁してください。そして「アリスにお願い」の後味の悪い終わり方にも、驚きましたよ。三原順もビックリですよ。そういえば、「三原順傑作選70s」の解説で、和田慎二が当時の少女マンガ界について少し触れてたんですが、

74年「花とゆめ」(白泉社)創刊、月刊誌として創刊し、その後月2回刊の隔週誌として定着するこの雑誌は「別マ」「りぼん」の編集者が設立メンバーだったため、意外なほど多くの作家が移動した。明日をも知れぬ新雑誌に、名の通った作家が居場所を移すのだ。もちろん待遇面や計算もあるのだろうが編集者を慕う作家も多かった。「雑誌」を捨てて「編集者」についた作家に、いきさつを知らない「雑誌」の読者が混乱させられた一件ではあった。

花とゆめ」って、30年以上も前に創刊していたんですなあ。もっと最近、80年代後半くらいから創刊したのだと、漠然と思ってました。まあ、「花とゆめ」は、大成功して良かったですね。我々としては、この手の騒ぎですと、エニックスお家騒動が記憶に新しいのですが、こちらはねえ・・・

こういったマンガ雑誌の変遷というのは、大変興味がありますので、良い手引きとなる本があったら読んでみたいものです。
それはともかく、和田慎二の解説は、三原順の同志というかライバルというか、『強敵と書いて友と読む』みたいな視点で書かれていて、すごく良かったです。今まで見てきた三原順の解説の中で、一番分かりやすかったです。和田慎二もエラいなあ。

あ、思い出した。三原順の「Sons」という作品で、主人公が一時期、長々と頭の中で物語を空想するのですが、なんかすごくデジャブを感じてたんですよね~。どっかで見たことあるなあって。
一体なんだったっけと、ずっと引っかかってたのですが、分かりましたよ。「無敵看板娘」(佐渡川準)ですよ。「無敵看板娘N」の1巻で、久しぶりに無言劇をやってたから、ようやく思い出しましたよ。似てるよね?(→

ええと、岩館真理子から、えらく離れてしまいましたが、「子供は何でも知っている」は、コミカル色が強くて、今まで読んできた岩館真理子作品の中で、一番読みやすかったです。最初にコレを読めば良かったよ。
でもあの、全4巻ってありますけど、終わってませんよね? 話を終わらせるのがニガテな人っぽいぞ。

この作品は「ぶ~け」(集英社)で連載されてたんですなあ。ワタクシ、今まで読んできたぶ~け作品で、つまらないと思ったものは1作品もありませんでしたよ。今回も記録更新。
なんですか、「ぶ~け」という雑誌は、神マンガ雑誌だったんですか? 「ぶ~けに駄作なし」という賽の目式格言が、今回も生かされた次第です。



そのぶ~けで連載されていた、「CLEAR」(耕野裕子)。この作品、探し回ったなあ。この前やっと、コンプリートできました。
ちょっとヒネくれたところのある男子高校生が、いろんなことがあって、立派なマンガ家(笑)になるまでのお話で、まあビルドゥングスロマンと言ってしまって良いのではないでしょうか。

耕野裕子の描く男子は、好きです。物語の深みとか、構成力といった点からいえば、吉野朔実逢坂みえこに軍配が上がるのではないかと思いますが、等身大で、ものすごく共感できる男子を描けるという点で、ワタシは耕野裕子をヒイキしています(笑)

その耕野裕子の代表作と思われる「CLEAR」(全11巻)が、なかなか全巻集められなくって苦心してたんですが、最近なんだか、よく見つかるなあ。絶好調ですよ。

この作品のテーマは多分、1巻で主人公が英語の教師に遊びに行った時の言葉、「良く生きる」なんでしょうねえ(→)。いいねえ、青臭いねえ。好きな女の子とバッタリあったけど、話題がなくって黙りこくって別れてしまい後悔するとか、お前は昔の俺か状態ですよ。ぶ~けって少女マンガ雑誌だよなあ。しかしこれ、女の子が読んで面白いのカナ?

主人公に恋心を寄せるサイ子も可愛くて良いですなあ。こういうセリフを見開きで描くなんて、吉野朔実逢坂みえこのマンガでは、まずお目に掛かれませんな(当たり前だ)。いやワタシ、こういうの好きっすよ~。

どちらかというと、前半の、高校生だった主人公が、ぶすぶすとくすぶっていた頃のが好きなんですが、ややグダグダ気味になってきた、マンガ家を目指す後半の頃も、マンガ家によるマンガ家生活が、マンガで描かれていて好きであります。いやあボクは、マンガ家にならなくって本当に良かったと思います。

最後の方で、デビューしたものの、売り上げ至上主義の編集者とモメて、干されてしまった話とか、実話くさくてアレなんですが、干されても「マンガを描きたい」と決意するところなんて(→)、すげえ燃えるなあ、つか萌える(オイ)。

山川直人の「口笛小曲集」にも、そういう話がありますが(「ひとりあるき」)、一旦マンガを描くことを諦めて、でもやっぱりマンガ家になりたくって戻ってくるというのは、どうにも燃えてきます。福島聡とか、ホーリーランドの作者(森恒二)も、一時マンガから身を引いてた時期があるらしいですが、そういう人の描くマンガはちょっとこう、他とはなんか違うカンジがするんですよね。気のせいなんでしょうけど(笑)

ということで「CLEAR」は、長い間探し回った甲斐がある、読み応えのある作品だったなあと。
ちなみに、この人の旦那さんが、榎本俊二だと知ったのは最近です。マジかよ~。



水が氷になるとき」(西炯子)。西炯子という名前は、なんとなく知っていて、少女マンガに疎いワタシが知っているということは有名な人なんだろうと、とりあえず読んでみた。
うむ、ワタクシ、日常会話で「仄聞」という言葉を使う人を、リアルでもマンガでも初めて見ました!

と、思わず軽口を叩きたくなってしまうくらい、青春してましたっすわ~。前にも書いたフラジャイルですよ。これはキツいな。もう1冊、「僕は鳥になりたい」も一緒に買ったのですが、こっちは初期短編だけあって、ここまで来ると、もはや殺人的なピュアネスですよ!

一般的に、「少女マンガ」といったら、こういうマンガのことを言うんだろうなー。「恥ずかしくて読めねえよ~」ってカンジ。だがしかし、こういうのはクセになるというかですね、気恥ずかしさが徐々に快感へと変わっていくんですよ。ええい、いかがわしいこと言うな!

なんだかマジメに読み込んでしまったら、ハマってしまいそうな気がするので、これはしばらく、冷却期間を置くとしよう。くわばわくわばら。