賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

「フラジャイル」を読む(一応完成)

山名沢湖の「レモネードBOOKS」2巻を読んでましたら、こんなページがありまして、岩田くん、34冊も図書館から借りてたりするんですよ。

俺も負けれね~!

とばかりに、年末に借りられるだけ借りてみたんですが・・・

10冊しか借りられませんでした・・・_| ̄|○


こんばんわ。マンガを読まないなら本を読めばいいじゃな~い!な賽の目です。

それでも結構重いんですよ!? 返す時のことを考えるとウンザリだわ~。。

という次第で、ワタクシ、返却日までにできるだけ読み終えてしまおうと、頑張って読んでるワケですが、
内村鑑三という人は面白いですねえ。この人の本を読むたびに、ボノさんの顔が思い浮かんでしまうの
でありますが、ボノさんがこの人の本を読んだら、どういう感想を持つんだろうなあと思うと、なんだか
ニヤニヤしてしまいます。気味が悪いです。

内村鑑三とボノさんの言葉を比較して語ってみるというのは、すごくやってみたいことなんですが、
それはまたの機会にするとして、今回は、松岡正剛の「フラジャイル」という本について少々。いや、
これ目茶目茶面白いですよ。

大体ですねー、冒頭からして、こんな文が置いてあるのですよ。

 ひとつ、例を出す。吉本ばななの『満月』には、「私の気持ちは弱まっているので、今すぐアラビアへ月を見に行きましょう、と言ってもうんと言ってくれそうに思えた」という一行がある。
 気持ちが弱っているからこそアラビアの月に飛んでいきたいと言ってみたくなるのだという感覚、これは、吉本ばなながデビュー以来使っているフラジャイルな感覚だが、かつては大島弓子しかできなかった芸当だった。

モチロン、ワタシは吉本ばなな大島弓子も知らないのですが、ワタシの知ってる中で、そういう
フラジャイルな感覚をもったマンガ家さんというと、山名沢湖さんですかねえ。特に初期の頃の。
その辺りが、山名沢湖における大島弓子の影響というヤツなんですかねえ。そのフラジャイルという
考え方を起点に、大島弓子さんの作品が読めるかなあ、読みたいなあ。

と、しょっぱなからマンガ好きのワタシの心を鷲づかみなワケですが、マンガにおけるフラジャイル性
というと、それはやはり少女マンガの独壇場でしょうねえ。
少年マンガの場合は、フラジャイルとは正反対の「強さ」がテーマですから。「はじめの一歩」の主人公
みたいに、「強いってなんですか?」が王道ですよね。

その代わりに、主人公のライバル的ポジションにいるキャラクターが、対称的にフラジャイルな性質を
持っていたりするみたいですな。
たとえば、「はじめの一歩」だと、宮田一郎なんて、極度の減量により、いつも半病人の状態でリングに
上がるフラジャイル野郎ですし、柴田ヨクサルの「エアマスター」というマンガに出てくる、時田伸之助
なんていうキャラクターも、インドで修業した後は、フラジャイルな強さを体現していたと思います。
「バキ」だとゲバル・・・いやいや、なんでもないです。

格闘マンガばかりでなく、スポーツマンガですと、ええと、なんだろう。「スラムダンク」(井上雄彦)の
三井寿とか、「ファンタジスタ」(草場道輝)の沖田薫なんかが挙げられますかね。「ファンタジスタ」なら
マルコ・クオーレだろ、と言われそうですが、ここは個人的好みで(笑)
「キャンプテン翼」なら、岬太郎がフラジャイルキャラでしょうか。実在キャラですと、昨年のワールド
カップにおける中村俊輔が、フラジャイルしてましたねえ・・・_| ̄|○

と、こうして考えてみますと、わりと少年マンガでもフラジャイルなキャラがおりますが、近年は
そういうキャラクターは「非現実的」と、切り捨てられているような気がします。
元来、日本人は「柔良く剛を制す」というノリが大好きだと思うのですが、今では中田英寿的な
「剛良く剛を制す」キャラが主流になってるなあと。ワタシは中村俊輔の方が好きですけど(笑)


などと、やたらと妄想エネルギーがほとばしってしまう本なのですが、「ハイパージェンダー」の章では
少女マンガと同性愛(ゲイ・フラジリティ)の関係が触れてあって、なんだか妙に納得してしまいました。
少女マンガと同性愛が、どのように結び付くのか、いまだによく分からなかったりするのですが、ああ、
そういう風に見れば良いのかと。「弱々しさ」がキーワードになるのですなあ。

以前感想を書いた、オノ・ナツメさんの「not simple」も、フラジリティ溢れる作品だと思うのですが、
思えば、ワタシが思いっ切りつまづいた冒頭のあのシーンは、まさに「FRAGILE(壊れもの注意!)」
を象徴していたシーンであったのかもしれない。目一杯感情移入して読む「強い」読み方ではなく、
壊れ物を扱うかのように、慎重に繊細に物語に触れてゆく「弱い」読み方をして欲しいと。いやまあ、
誤読なんですけどね(笑)

ここまできて「この人はなにを言っているのん?」と訝しく思われるかもしれませんが、ええ~なんと
いうかですね、自分が少女マンガのどんなところに惹かれているのかとか、山名沢湖とか志村貴子とか、
冬目景といったマンガ家さんのどこに魅力を感じるのかを、いわば概念としてきっちり説明してもらえた
みたいで、目からウロコ状態なワケですよ。

羊のうた」の高城千砂なんて、究極のフラジャイルキャラだよなあ。漆原友紀の「蟲師」も、
なんであんなに魅力的なのだろうと考えると、あの「蟲」という設定のフラジャイルっぷりに
べた惚れになってしまうのですな。う~ん、なんて分かりやすいんだあ!

U2のWith Or Without Youなんかも、フラジャイルの最たるものですな。「君がいてもいなくても」
ですよ。「君は全てをさらけだす」ですよ。要するにWOWYというのは少女マンガなんですよ!(違)

と、年明け早々、錯乱してしまいましたが、なんだか久し振りに読書の醍醐味、「普段、
漠然と考えていた事が、くっきり形にして表現される」快感を味わわせていただきました。
ということで、次は少女マンガを読むことにしよう(笑)