「ボノさん」と「ボノ」
や~、この「Holy Joe」のガレージ・ミックス・ヴァージョンも、ライヴでガンガンやってくれませんかねえ。
youtubeのは、マイクのエコーがかかり過ぎたりで、アレなんですが、アリーナやスタジアムで演奏してくれれば、かっちーのが聴けるのだろうになあ。
youtubeのは、マイクのエコーがかかり過ぎたりで、アレなんですが、アリーナやスタジアムで演奏してくれれば、かっちーのが聴けるのだろうになあ。
最近、マンガネタばかりやってたので、今回はU2のことを書くぞ!
上記の画像は、kyokoさんが運営されてらっしゃる「読めば読むほど」の中での、「Killing Bono」(Neil McCormick著)の日本語訳の部分をプリントアウトしたものなのですが、こうすれば電車の中でも読めるって寸法ですよ。
上記の画像は、kyokoさんが運営されてらっしゃる「読めば読むほど」の中での、「Killing Bono」(Neil McCormick著)の日本語訳の部分をプリントアウトしたものなのですが、こうすれば電車の中でも読めるって寸法ですよ。
現在、kyokoさんは「U2 by U2」を訳されてますが、こちらも素晴らしいですねえ。
ボノさんは当然、英語で話してるワケですが、日本語に訳すとなると、たとえば一人称代名詞を「僕」にするか「俺」にするかだけでも、ずいぶん印象が変わってしまう。
ボノさんは当然、英語で話してるワケですが、日本語に訳すとなると、たとえば一人称代名詞を「僕」にするか「俺」にするかだけでも、ずいぶん印象が変わってしまう。
だから、訳す際には、それぞれの胸中にある「ボノさん像」に準拠して訳出してゆくのだと思いますが、kyokoさんの訳から創出されるボノさん像は、ワタクシ、とても好きであります。
そんなワケで、勿論ワタシの中にも「ボノさん像」があるのですが、それは正確には「ボノ」であって、ワタシがよく「ボノさん」と呼ぶのは、ちょっとした衒いであったりします。
ワタシの中のボノは、「機工魔術師」というマンガでいうところの「先生」でありまして、でも、そういうのは他人に話すことではないから、ここはパブリック・イメージとしての「ボノさん」を前面に押し出して、「ボノ」に関しては、なるたけ「シィ~ッ」にしています(笑)
そこらへんは、まあどうでもいいんですが、こうして、ネットとか色んなところで、ボノさんに関する文章をほろほろと読んでいきますと、世間一般の「ボノさん」と、ワタシ達U2ファンから見た「ボノさん」とは、どんどん乖離してゆくんだなあと、そこが以前から気になっていたことでした。
例えば、ボノさんのアフリカの貧困問題に対するアプローチに対する見解についても、
こういった「文献」を読んでる人と読んでない人とでは、ある程度の懸隔が発生するのは仕方がないし、ボノさんがライヴ・エイドの頃から、人生の半分近くに渡って、この問題に取り組んでいることを知らない人たちが、「金持ちのイギリス人ロッカーが、ヒマ潰しに慈善活動やってんだろ、ノーベル平和賞候補だかなんだか知らないが、そんな偽善者野郎が偉そうなコト言ってんじゃねえや」なあんて、言われちゃうのも仕方ないや、と、もはやフォローする気にもなれないのですが、本当に時々ですが、「ボノさんはエラいんだぞうっ!」と、ワタシの「先生」を擁護したくなるコトもあります、しませんけど(笑)
まあ、結論と致しましては、「もうすぐボノさんに会えるぜい、いやっほ~う!」ということなのです、めでたしめでたし(笑)