賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

たまに本の話とか2

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最近なんだか、本ばかり読んでる賽の目です、こんばんわ。

しかし、ここはあくまでマンガブログですので(そうだっけ?)、マンガに関係する本について、少々書いてみようかと。


片付けない作家と西の天狗(笙野頼子)
これは言うまでもなく、「レモネードBOOKS」の影響なのですが、面白かったです。なるほろ、山名沢湖は、こういうことをやりたかったのかあ。久しぶりにこういう文学系の作品を読みましたが、大変“読みやすく”感じて新鮮でした。
ワタシの中では“文学”というのは、基本的に19世紀の産物だと思ってましたから、こういう現代の今、真っ只中で文学やってる作品を読むと、すげえって思います。基本的に昔の本ばかり読んでおるのがいかんのだなあ。
この人はどうも“論争”をやってたらしく、その相手の名は伏せられてましたが、これはアイツだよなあ、どう見ても。いちマンガ読みとして、とっても恥ずかしいです~。


打撃の神髄―榎本喜八伝(松井浩)

スゴいや、合気打法は実在していたんだね!

昔、バンチというマンガ雑誌に、「ワイルドリーガー」という野球マンガが連載されていたのですが、その作品に、羽根田耕という、とってもステキなキャラがおりまして、その人が「合気打法」の使い手だったのですね。

てっきりこれは、作者の創作なんだと思い込んでいたのですが、いやいや本当にあったんですなあ。
恥ずかしながら、ワタクシ、榎本喜八という野球選手のことを全然知りませんでした。

合気打法とはなにか、説明するのが面倒くさいので省略しますが(おい)、この本ではなかなか合理的な解説がなされていて、面白かったです。特にメンタルの面での解説は非常に興味深いです。

今のように、全身から無駄な力が抜けてリラックスした状態が自然体なんですよ。人は、自然体が一番強い。それには野球も合気道もありません。この状態をいつも作る稽古をすることですよ。そして、その自然体でバットを振ることが大切ですね。

ここら辺なんかは、「おおきく振りかぶって」という野球マンガでも、トレーニングに取り入れられてますね。この第6回なんかは、その解説に20ページ以上ものページが割かれてますよ。月刊誌ならではの荒業ですな。週刊誌だと、それだけで終わってしまうわい。

現代では、こういうメンタル面でのトレーニングも重要視されてるようですが、そんな今こそ、合気打法が注目されるのでは? とか思ってしまいますが、榎本喜八のそれは、あまりに求道者すぎて、現代っ子には向いてないだろうなあ、やっぱ。

合気打法開眼への道のりも面白かったのですが、榎本喜八のライバル達の姿も面白いです。榎本喜八より一つ年下で、西鉄ライオンズに所属していた稲尾和久のエピソードとか凄すぎですよ。
稲尾の投じるスライダーが、あまりにゾーンぎりぎりなので、本当にストライクなのか検証するシーンとか、この世の出来事とは思えませぬ。

・・・そのため、シーズン前、何人かの審判たちが西鉄ライオンズのキャンプ地を訪ねたことがあった。本当に稲尾のスライダーがストライクなのか、じっくり見極めさせてほしいと依頼してきたのだ。さっそく稲尾を連れてブルペンに入った審判たちはホームベースの上にゴムひもを垂らし、ルール上のストライクゾーンの横幅を区切った。こうしておいて稲尾にスライダーを投げてもらったのである。一人のピッチャーのために、審判たちがここまでするのは異例中の異例だろう。
果たして、稲尾の投じたスライダーはストライクだったのか?
何球投げても、稲尾のスライダーはそのゴムひもをピン、ピンとはじいていった。つまり、審判たちが判断していた通り、ルール上のストライクゾーンのギリギリをかすっていたのである。

ええい、西鉄ライオンズのピッチャーは化け物か!

9分割どころじゃないじゃん! こんなの打てるかよ!
榎本喜八も充分化け物クラスの野球選手ですが、こういう化け物たちが真っ向勝負してた昔のプロ野球は、さぞ面白かったのだろうなあ。いや、今も面白いかもしれませんが、もう観てないので・・・
ともあれ、楽しい1冊でした。


三国志―正史と小説の狭間(満田剛)
三国志」という名前を見かけると、つい手を伸ばしてしまう習慣が身についてしまったのは、いつからであろうか?

もっとも近年では、ネットで三国志関連のHPを見る方が、はるかに楽しいので、全然読まなくなってしまったのですが、今回つい手にとってしまったのは、「蒼天航路」が終わっちまったなあという気持ちがあったのと、この本の著者が1973年生まれと、ワタシとほぼ同年代であったためでした。

昔の三国志本というと、無味無臭の味気ない本か、あるいはオッサン向けというか、「サラリーマンのためになる」本という体裁が多く、そこに出てくる曹操にしても劉備にしても、オレたちの知ってる“アイツら”とは、似ても似つかない顔をしているので、必要な情報だけ摂取して、あとは勝手に自分の好きなように肉付けをしていたものですが、とうとう自分と同年齢の人間が、こういう本を出すようになったのだなあと、感慨めいたものが湧いてきました。

そういう感傷と、最近の三国志本は、どこまで掘り下げてあるのだろうか。ネットの、たとえば「偽黒武堂の三国志探訪」とか、「呉書見聞」とかいったサイトは、すんごい勉強になったが、書籍で、まだこれ以上に、新しいコトが発見できるんだろうか、といった好奇心が働いたこともあり、ちょっくら読んでみるかと。

結論からいうと、やっぱり「おおっ」と唸らせるようなコトは書いてなかったのですが、「まえがき」で『三国無双』の話が枕に使われていたり、『蒼天航路』の名前が普通に挙げられていたりと(p48)、そういうところが、新しさを感じさせました。
40代50代の人がイメージする「三国志」(あえていえば吉川英治世代)と、ワタシのような30代の人間がイメージする「三国志」(あえていえばKOEI世代(笑))とは、決定的にズレているのだなあと再確認できました。ワタシよりももっと若い人たちも(これは無双世代か?(笑))、きっと新しいイメージで「三国志」をこれから語ってゆくのだろうと思うと、それは楽しみなことであります。三国志フォーエヴァー。