ある読後感(ネタバレあり)
とはいえ、作品的にピークだったのは4巻だったのかもしれません。誕生祭のシーンは圧倒的でしたが、終わり方が「SARU」と同じように、謎は謎のまま、特に説明されることなく終わってしまう。
だけど、そういった不満を、一番最後に収録された短編(「ある旅人のはなし」)によって、すべて吹き飛ばされてしまった。画集(「海獣とタマシイ」)ではカラーで収録されているので、さらに素晴らしかったのですが、本篇の方でも同じく主人公が語る「
一番大切な約束は、言葉では交わさない。」というセリフが、ひどく胸に応えました。
はるか大昔、僕たちは確かに『約束』を交わした。それは記憶に残ってないけれど、そういう「感じ」はいまだに残っている。いつでも体の一番奥で、ちゃんとつながっている。思うに道徳とか倫理とか言われているものの根源はこの約束にあるのではなかろうか。
「何故、人を殺してはいけないのか」という問いかけに、「それは、 『約束』をしたからだ」と答えることに、なんの違和感もない。あの時、確かにそう約束をしたのだ。そして僕たちは約束を破り続ける。
主人公の斉藤真二は、ミキさんの策略により、ミキさんと同じ透明人間にされてしまう。この場合の「透明人間」とは、肉体的なものだけでなく(姿が見えない聞こえない)、精神的にも透明人間になってしまう。つまり記憶すら消されてしまう。
にも関わらず、真二の幼馴染みである加奈さんは毎日、いつも二人で一緒にいた高台のベンチで待ち続けていてる。誰を? 分からない。でも自分は待ち続けていかなければならない。
それは多分、約束だから。言葉にしたことは一度もなかったけれども、それは確かに二人が交わした約束だったから。姿が見えなかろうと、記憶が消されていようと、それはまるで問題にならない。
傍から見れば、理由もなく学校をサボりまくりで高台でボーっとしている加奈さんの行動は狂気以外の何者でもなく(むしゃくしゃして学校をサボった。高台ならどこでも良かった。特に反省はしていない)、もしワタシが加奈さんの両親であったなら、迷わず病院に連れていきますが(笑)、神の視点から見れば加奈さんの行動は正気以外の何者でもない。やたら他人を狂人扱いするのではなく、「他人の心は分からぬもの」と、そっとしてやるのが大人の態度だ。
それはともかく、このシーンにひどく心を動かされたのはいいが、それがどう感動したのか自分でも説明がつかず、いささか途方にくれていたのですが、「海獣の子供」を読んで、「ああ、そういうことか」とひどく納得してしまいました。
究極のディスコミュニケーション。姿が見えず、声も聞こえず、二人が通じ合う事は決してない。でも、まるで論語の「祭ること在すが如く、神を祭ること神在すが如く」(あるいは「不在の神に祈る」byシモーヌ・ヴェイユ)を体現するかのようにをコミュニケーションをとっている二人の姿に、当時泣けてしょうがなかったのですが、自分は恐らく「約束を守る」という、いにしえから続く人としての根柢的な在り方というものの形を見てしまったからなのではないか、というのはいかにも大袈裟ですね、申し訳ない。当時それくらい感動しました。