賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

With Or Without You(U2)

 

実はこのブログはU2ファンブログだったりするんですよ。

と、本人も忘れてた衝撃の事実を暴露しつつ今日の1曲ですが、「読めば読むほど」のkyokoさんが、この曲を訳してらしたので、今回は何を今さらのWOWYです。
しかし、ノエル・ギャラガーが、そんなに「ヨシュア・トゥリー」が好きだったなんて、初めて知りましたよ。
 
嫌い?別に構わんよ!知り合いという知り合いは全員(うちの奥さんを除いて)彼らのことが嫌いなんだ。俺たち夫婦は彼らが好きだよ。それが理由で結婚したわけじゃないけどさ…でもマンチェスター時代の記憶にある限り最初から、今まで出会った他の誰もが『やつらは糞だ。やつらが音楽をだめにした』みたいな調子さ。
 
本当にあの頃のマンチェスター勢は、どいつもこいつもU2の悪口ばっかり言いやがって・・・
 
恨み骨髄に至るとはこのことかっ。というのは冗談ですが(もう慣れたよ)、今頃になって「実はU2好きだったよ」とか言い出すヤツもいて、本当にもう「ツンデレは禁止です!」と主張したいです。
 
それはさておき、kyokoさんの、
 
 >単純なラブソング
 >では、いけませんかね?
 
という問い掛けが耳に痛いです。はい、ワタクシ、それはもう思いっ切り観念的に聴いてました(笑)
 「もう生きていけない、貴方がいてもいなくても(I can't live With or without you)」という言葉に、すがりつくようにして聴いていた頃もありました。
 
頂まで登りつめた言葉は、そこで殆ど意味を失うかと思われる程慄えている。絶望の表現ではないが絶望的に緊迫している。無意味ではないが絶えず動揺して意味を固定し難い。俺はこういう極限をさまようていの言葉に出会うごとに、たとえようのない感動を受けるのだが、俺にはこの感動の内容を説明する事が出来ない。だがこの感動が俺の勝手な夢だとは又どうしても思えない。 (小林秀雄「Xへの手紙」より)
 
「Xへの手紙」の、この個所を読むたびに、With Or Without Youが頭に思い浮かんでいたのですが、ええと実に抽象的ですね(笑)
君と一緒でなければ生きていけない」というのなら、まだ分かる。そういうラブソングなら掃いて捨てるほどある。だが、「君と一緒でも一緒でなくても生きていけない」などと言われてしまっては、さて、我々はどうすればいいのだろうか、そもさん!
 
ある種の禅問答に近い歌ではないかと思うのですが(笑)、若い頃はなんでも極端に物事を考えがちですから、With Or Without Youのように極限までいってしまったラブソングには、そりゃあイカれてしまいますよ。たまったもんじゃありません。
 
この言葉が、単なる言葉遊びではなく、切実なものとして伝わってくるのは、言うまでもなくボノさんのシャウトにあるワケで、「この人は今の気持ちを本当に伝えてる」と感じなければ、「もう生きていけないんだ」という感情がリアルに伝わってこなければ、それはただの大仰な大袈裟な、まさにクソのような歌になってしまいます(笑)
With Or Without Youをカバーする人たちもいるのですが、勇気ある人たちだなあって思います(笑)
 
 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
    忍ぶることの 弱りもぞする
 
式子内親王が、どれだけの激情をもってこの歌を歌ったのか知るよしもないのですが、きっとボノさんみたいに歌ったんだろうな、などと思ってしまうのはU2ファンの浅はかさと思ってくれてかまいません(笑)
こういう激情に溢れた歌は、やはり若い頃に接しておかないと、素直に受け止められないような気がします。若い頃にU2を知って良かったと、これはちょっと自慢です(笑)