賽ノ目手帖Z

今年は花粉の量が少ないといいなあ

反軍演説って知ってます?

ワタシは最近知ったんですけど、そういうのがあるんですよ。

お役所仕事の大東亜戦争」(倉山満)という本を図書館で借りて読んでたんですけど、最後の「おわりに」に、この演説についての言及があったんですよ。それで初めて知りました。
もう返却期限を過ぎてしまったので(ゴメンナサイ!)、返却する前に忘れないように引用しておこうかと思います(演説部分は読みやすいように改行その他を施してます)。

 一九四〇年(昭和十五年)帝国議会において斎藤隆夫代議士が「支那事変処理に関する質問演説」をおこなった。いわゆる「反軍演説」である。
 七十一歳の老人は、一時間半にわたり、原稿をすべて暗記して演説を行った。
 最も有名な部分を引用しよう。

国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。世にそうでないと言う者があるならば、それは偽りであります、偽善であります。我々は偽善を排斥する。あくまで偽善を排斥してもって国家競争の真髄を掴まねばならぬ。国家競争の真髄は何であるか。曰く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。
強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向かうに当たりまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向かうべき途はないのであります。
彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向かって猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であります。
この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。私はこの考えをもって近衛声明を静かに検討しているのであります。
即ちこれを過去数千年の歴史に照らし、またこれを国家競争の現実に照らしてかの近衛声明なるものが、果たして事変を処理するについて最善を尽くしたものであるかないか。振古未曽有の犠牲を払いたるこの事変を処理するに適当なるものであるかないか。東亜における日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、もって将来の安全を保持するについて適当なるものであるかないか。
これを疑う者は決して私一人ではない。いやしくも国家の将来を憂うる者は、必ずや私と感を同じくしているであろうと思う。それ故に近衛声明をもって確乎不動の方針なりと声明し、これをもって事変処理に向かわんとする現在の政府は、私が以上述べたる論旨に対し逐一説明を加えて、もって国民の疑惑を一掃する責任があるのであります。


 斎藤は反戦平和主義者などではない。むしろ、力の論理の信奉者である。その政治歴においても、たとえば大正政変では桂新党に馳せ参じている。本人も回顧録で、将来を見越してそのような活動をしたと記しているし、むしろ権力政治家を自認している。だからこそ、支那事変を何の大局もなく拡大する無能な政府に我慢がならなかったのである。
 斎藤の演説は、読みようによっては「まじめに戦争をやれ」とも読めるのである。さらに斎藤のリアリズムぶりを示す部分を引用しよう。


ことに国民精神に極めて重大なる関係を持っているものであって、歴代の政府が忘れているところの幾多の事柄があるのであります。例えば戦争に対するところの国民の犠牲であります。いずれの時にあたりましても戦時に当たって国民の犠牲は、決して公平なるものではないのであります。
即ち一方においては戦場において生命を犠牲に供する、あるいは戦傷を負う、しからざるまでも悪戦苦闘してあらゆる苦難に耐える百万、二百万の軍隊がある。またたとえ戦場の外におりましても、戦時経済の打撃を受けて、これまでの職業を失って社会の裏面に蹴落される者もどれだけあるか分らない。
しかるに一方を見まするというと、この戦時経済の波に乗って所謂殷賑産業なるものが勃興する。あるいは「インフレーション」の影響を受けて一攫千金はおろか、実に莫大なる暴利を獲得して、目に余るところの生活状態を曝け出す者もどれだけあるか分らない。戦時に当たってはやむを得ないことではありますけれども、政府の局にある者は出来得る限りこの不公平を調節せねばならぬのであります。 
しかるにこの不公平なるところの事実を前におきながら、国民に向かって精神運動をやる。国民に向かって緊張せよ、忍耐せよと迫る。国民は緊張するに相違ない。忍耐するに相違ない。しかしながら国民に向かって犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない。これと同時に政府自身においても真剣になり、真面目になって、もって国事に当たらねばならぬのではありませぬか。しかるに歴代の政府は何をなしたか。事変以来歴代の政府は何をなしたか。
二年有半の間において三たび内閣が辞職をする。政局の安定すら得られない。こういうことでどうしてこの国難に当たることが出来るのであるか。畢竟するに政府の首脳部に責任観念が欠けている。身をもって国に尽くすところの熱力が足らないからであります。
畏れ多くも組閣の大命を拝しながら、立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に対して何らの経験もない。しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織する。国民的支持を欠いているから、何ごとにつけても自己の所信を断行するところの決心もなければ勇気もない。姑息倫安、一日を弥縫するところの政治をやる。失敗するのは当たり前であります。 
こういうことを繰り返している間において事変はますます進んで来る。内外の情勢はいよいよ逼迫して来る。これが現時の状態であるのではありませぬか。これをどうするか、如何に始末をするか、朝野の政治家が考えねばならぬところはここにあるのであります。
我々は遡って先輩政治家の跡を追想して見る必要がある。日清戦争はどうであるか、日清戦争は伊藤内閣において始められて伊藤内閣において解決した。日露戦争は桂内閣において始められて桂内閣が解決した。当時日比谷の焼打事件まで起こりましたけれども、桂公は一身に国家の責任を背負うて、この事変を解決して、しかる後に身を退かれたのであります。
伊藤公といい、桂公といい、国に尽くすところの先輩政治家はかくのごときものである。しかるに事変以来の内閣は何であるか。外においては十万の将兵が殖れているにかかわらず、内においてこの事変の始末をつけなければならぬところの内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼の重責を誤って辞職をする、内閣は辞職をすれば責任は済むかも知れませぬが、事変は解決はしない。護国の英霊は蘇らないのであります。私は現内閣が歴代内閣の失政を繰り返すことなかれと要求をしたいのであります。


 戦いを始めるなら止め方を考えろ。当たり前の話ではないのか。戦いにおいて止め方を考えるとは、勝ち方を考えるのと同じである。勝ち方の議論ができないのであれば勝てないのは必定である。
 何より、斎藤の目線は、戦場に斃れた英霊と苦しい生活に耐える国民に向けられる。斎藤のリアリズムに、首相の米内光政はどう答えたか。
 語るに値しない答弁なので読み飛ばしてもらってもよいが、一応全文引用しておく。


(本当に語るに足りなかったので省略)


 木で鼻を括った返事とは、このような態度を言うのだろう。
この「反軍演説」後、斎藤は議会を除名され、米内もまた任期半年で内閣総辞職に追い込まれた。
 その後の国民の地獄は、周知の通りである。(P322-P328)


ワタシのイメージする政治家ってこういう演説をする人なんですが、wikiを見てみますと、この演説を海岸で喉をからすくらい何度も予行練習をおこない当日は原稿を用意せずに演説をおこなったとか。なんちゅう71歳じゃ。
多分、現代においてはこういう政治家が現れることはもうないだろうとは思いますが、せめてこういう政治家がいたことは覚えておこうと思います。